中小企業論特別講義 酪農学園大学講演 壊境と共生する企業経営 私の考え方・進め方

環境を担う人たちに

きょうは学問的な知識ではなく、どういうふうに生きたら成功するのかという話をさせていただきます。

皆さんは今、希望に満ちた顔をしていますね。次代を担う人がこの中にいるでしょう。私はこの出会いを大切に思っています。皆さん方も私の話を聞いて、「あの程度の男がこれくらい成功をしているなら、僕にもできるかもしれない」という希望を持っていただけたらと思います。

皆さんは酪農大学にいらっしゃる。環境問題を担おうとしてこの大学に人ったとすると、皆さんには先見の明がありました。これまで工業先行の時代がずっと続いてきました。実は日本が今、世界に一番先駆けているのは環境問題です。日本は環境問題を克服した国として、世界のリーダーになれる国です。わが社では農学部卒も採用しています。森林も、バイオマスも、環境に関する学問はすべて農学部の範疇ですね。皆さんの勉強している学問は、地球の将来について提案するという意味がある。建築学でも、機械工学でも、化学でも、そういうところには十分に目がいきません。皆さんは、そういう恵まれた環境の中で、大変重要な学問をしているのです。

北海道から発信するメッセージ

北海道はとくに環境問題解決のためのメッセージを出すことのできる地域です。

なぜならば、北海道の森林保有率は世界一で、約7割を占めている。欧州や米国では30%台、中国にいたっては20%を切っています。中国やインドを旅行するとわかります。生えている木はほとんど切り取られている。冬になると寒いから、木を切って炊いてしまう。

日本に戻ってくると緑が多い。緑が多いということは、生活の場として心地よいということです。日本の国有林野事業は失敗したと言われていますが、これだけの国有林を残したのだから、大成功ではないでしょうか。こんなことを言うのは私だけかもしれませんが。林野庁を解体するとか、営林署はいらないという意見が大半です。しかし、そうではない。豊かな森があるから豊かな草原があり、豊かな雨が降るから畑が息づき、海に川に豊かな資源が残っていくわけです。

私は今、「森をたてようネットワーク」という活動を展開しようとしています。いろいろな著名人がこの活動に賛同してくださって、ネットワークが全国に広がりつつあります。明日はその中の1人である、裏千家第16代家元の千宗室さんとの打ち合わせで京都に行きます。京都市と北海道のバックアップで、「森を建てる」というテーマの講演会を開くのですが、千宗室さんはその第1回目のセッションのお相手です。その後、2回目が立松和平さん、3回目がC.W.ニコルさん、4回目が筑紫哲也さんを予定しています。

社会人としてのスタート

私は芦別の農家に生まれて、4歳の時に父と死別しました。姉5人と下の弟に囲まれていました。
姉にはかわいがられましたが、家は貧しかった。高校3年までは農家を継ごうと思っていました。工業高校に人ったのは、その頃から農業は機械の導入が盛んになり、自分で機械をいじれるようになりたいと思ったからです。父がいない農家の家では、長男の私が子どものときから主ですから、地区の会合にも高校生の頃から出席していました。高校3年生の2学期、その会合で減反を始めると聞かされました。10%の面積を作らないというのです。今でさえ、やっと食うくらいの米しかできないのに、これで10%減反されたら食べていけない。

私は「これからの農家は希望が持てない。就職したい」と母親に言いました。母は私が家の主だと思っているから、私が「就職する」といえばそれでいい。そこで就職活動が始まりました。不景気でなかなか行く先が決まらなかったけれど、3学期になってようやく、アサヒビールが北海道に工場をつくるということで募集がきました。

思えばあのとき、全道から大学生から高校生まで何百人もの人が札幌に入社試験を受けに来ていました。芦別から出たことのない農家の子どもだった私は、その数に圧倒されました。その中から13人を採るというので、これはもう無理だと思いましたが、運よくその13人の中に人り、社会人としてのスタートを切りました。

経営とは哲学なり

思うに、農家というのはその営みだけですばらしい人間教育を可能にします。種を植えて一年間それを見つめていく。親のその姿をみているだけで、農家の子どもはすばらしい才能をもらっているわけです。わが社に今、社員が100人いて、技術系がほとんどですが、農家出身の社員は作業の積み上げ非常にうまい。

農業という仕事は、20オから始めたとして、種を植えて実が採れるのは、50歳まででせいぜい30回。この30回が勝負です。そういう経験のないサラリーマンは、これがだめならあっち、あっちがだめならこっち、と目先を変えていく。皆さんの学問も、大きなスケールで物事を考えてほしいと思います。

この経験は、経営の上でもプラスになっていきます。農家でも、会社経営でも、経営の感覚がない人は成功しない。経営とは何かという本質を知っている人が成功するのです。

では経営とは何か。経営に携わる人の99%が、経営とは儲けることだと思っています。しかし、金儲けをしようと思って経営者になってもだめです。経営の経は五経の経です。つまり経営のセンスとは仏教、宗教や哲学なのです。哲学を営むこと、それが経営なのです。

出会いを必然と考える

人間が出会うのは偶然ではなく必然です。ここで私の話を聴くということは皆さんがこの学校にきたときから決まっていた、まさしく必然なのです。私だって何十年も前からこの瞬間のために生きてきたのかもしれない。もし、皆さんの中で私と一緒に働く人が出てきたら、そのことがよくわかるでしょう。

実は皆さんがここにいること、そのこと自体すでに偶然ではありません。皆さんのお父さん、お母さんがいて、おじいちゃんおばあちゃんがいて、そのまた前におじいちゃんおばあちゃんがいて、という連鎖の中であなたはここにいる。そのうちの1人でも欠ければ、あなたという人間はここにいない。元気のいい男性が一度に射精する量は4ccほどです。1ccに1億個の精子が入っているとすれば、4ccで4億個。それはすべて性格が異なるのです。結婚して2人の子どもを作ったとしたら、何十億分の一か二の2人ということになる。

そう考えることができる人は、経営者の資質を備えています。社員が「この人と一緒に働くためならなんでもやれる」という環境をつくることができたら、経営は大成功です。そういう会社は強い。だからこそ経営者は、常に人はいかに生きるべきかという哲学の道を学んでいかなければならないのです。

プラス志向は成功の第一条件

会社に入ったとたん、あなたたちは日々の競争に巻き込まれます。突き詰めていえばそれは、上司のために働けるかどうかどいう競争です。その上司がすばらしい人なら問題ないが、どうにもならない上司だとしたらどうするか。

その時、皆と一緒になってグチを言うならば、あなたはそこまでです。100人いれば90人までは「あんなやつの下で働くなんていやだよ」と言う。しかし残りの10人は、ひどい上司から学び、その下で苦労しながら飛躍していきます。わからずやの上司に、「私たちが出会ったことがすばらしいことだ」と思わせることすらできるでしょう。

マイナスの出来事があればそれはチャンスです。私は父がいなかったために苦労しました。しかし、・その苦労がすべて経営の道に活かされていくということに途中で気がつきました。マイナスをプラスにかえていくことは成功の第一条件です。

ただし、経営者が金儲けしか考えていなくて、そういうあなたの心の動きを評価してくれなかったら、その経営者についていく必要はありません。皆さんにも選ぶ権利がある。会社の大小は重要ではない。経営者の目指す方向が自分の目指す方向と合っていれば、そこに就職すべきです。

成功するためには

人生を成功するためには、自分が思っているとおりに生きることです。

松井秀喜が大リーグに行った時、多くの人は失敗すると評しました。彼は英語も話せないし、人に気を遣う繊細なタイプだからアメリカでは成功しないと。しかしそれは違います。松井選手は人に気を遣うことができるから成功できる。実際、すばらしい活躍をしていますね。皆さんにだってできる。20歳のこの時期に、どのように成功できるかをイメージできれば、絶対に成功します。

先ほどいったように、何万年もかかって連鎖している系譜を紐解いていくなら、皆さんは選ばれた人たちです。遺伝子と遺伝子がぶつかったときに選ばれた優性遺伝ですから、あなたは今ある中で最終的に完成された、家系・家族の最終動物なのです。優性遺伝はいいものを残し、だめなものを淘汰するという宇宙の法則です。あなたがここにいるのは、宇宙の意志だと思ってもいい。だからあなたは「宇宙のエネルギーは、すべてよくなろうという方向に向かっている」ということを、まず信じることです。

それは自分自身についても同じことが言えます。自分は必ずいい方向に伸びようとしていると信じなさい。そうすれば必ず実現するでしょう。

目標を定めて準備せよ

人生には目標が必要です。登山にたとえるならば、どれくらいの山に登りたいかを決めなければなりません。藻岩山ならスニーカーで登ることができます。でも100人が思ったら100人すべて登ることのできる山だから、目標としてはちょっとさみしい。では、せめて手稲山に登りますか。これも、革靴では無理だけど、トレッキングシューズ程度でいいでしょう。雪の時期ならちょっとした装備もいる。富士山に登ろうという人は、3000mはあるから、もっと装備がいる。では北アルプスは?一気にエベレストは?さらに重装備と訓練が必要になる。人生の山登りとは、つまり、準備するということに尽きます。

皆さんは準備をしていますか。人生でどのくらいの山を登るのか、目的を持って4年間を過ごしたら、大学に入ったときと全く違う自分になって卒業していくことでしょう。

その目標に向かってまっすぐ登ってください。迂回したらだめです。とはいえ、30歳前後になると、たいていの人は迂回をはじめる。そのうち、登っているのか下っているのかわからなくなる。まっすぐ登れば岩もあるし、大変だと思うけれど、それでも登りたいという思いがあれば、登ることができる。高い山ほど大きな満足感を与えてくれるでしょう。

もちろん、「わたしはそこそこでいい、サラリーマンで、子ども2人くらいで、無事に暮らすことができれば」と思えば、そのとおりになります。それも人生でしょう。ただし、幸せな人生には熱意が必要です。熱意なくしてどんな結果も生まれてきません。

熱意×能力×考え方

熱意はオーラとなって人に伝わります。熱意のある人は、目を見ればわかります。皆と同じ格好をしていてはだめですよ。ルーズソックスの群に入ってはいけません。皆さんは、いかに人と同じ生き方をしないかを考え、独自の道を追求すべきです。

熱意のつぎに能力も問われます。ただ、この能力というのはかなり広範なものなので、それだけではなかなか差がつかない。足が速ければ結構ですが、足が速くなくても頭が回ればいい、というくらいなものでしょうか。私自身はどうかといえば、熱意は80点だとしても、能力は50点くらいでしょう。この2つでは大差がない。

しかし3番目の考え方という点で大きな差が出る。熱意と能力は0点から100点までですが、考え方はマイナス100点からプラス100点まである。つまり、この3つの要素が掛け算だとすると、ここでマイナスが付けばすべてマイナスになってしまうわけです。考え方とは、先ほどお話した「プラス思考」です。必ずいい方向に向かうと信じる力があれば、どんな状況にも対応できる。感謝を忘れず、常に向上しようと努力できる。これがマイナスに考えれば、どこまでもマイナスになっていく。ここで大きな差がつきます。

ところが、北海道の人は屯田兵気質とでも言うのでしょうか、考え方という点でマイナスの人が多い。わが社は京都にも支社を開設しています。京都の人と仕事をすると、老舗は少なくとも3〜4代は続いていますから、自信があって安定しています。人の足を引っ張ろうとしない。ところが北海道の人は他人の成功をうらやむというか、誰かの成功を素直に喜ぶ心境になれない。つまり、マイナス志向に引きづられてしまうわけです。

私のお客さんに勲六等の勲章をもらった人がいました。皆で喜び合っていたのですが、翌週、同じ町内会で勲五等をもらった人がいるとわかりました。この人はたちまち機嫌が悪くなって、「なんであいつが五等なんだ」と。昨日まで喜んでいたのに、隣の人がさらに上を取ったら、せっかくの勲章が恨みになってしまう。これではだめです。他人のことを喜んであげることができたら、たいした人だと思いますよね。プラス志向とは、人の成功も自分の喜びにできるということです。

人間を磨くということ

成功の秘訣は、熱意・能力·考え方の3点にあると言いました。この3つを身につけるためには、人間性を磨かなければなりません。自分が生きているということを真剣に考え、その意義に悩むこと。自分だけの問題ではなく、自分が周囲に影響を与え、与えられていることを知るということです。

私たちは、誰かに冷たい顔をされたら動揺します。しかしプラスに考えるならば、それを乗り越えてその人と結びつこうとするでしょう。傷つけられたら、自分は傷つけまいと考え、周囲の人を幸福にするにはどうしたらいいかと行動する。その過程で、自分自身を磨いていかなければなりません。これはとても難しいことです。

昔、中国に禅宗の坊主で道林和尚という人がいました。道林和尚は枝ぶりのよい木の上でいつも座禅を組んでいました。達磨さんは、洞穴の中で組みましたね。禅が始まった頃は建物もなかったから、修行は外で行われていました。ある日、座禅を組んでいる道林利尚の下を通った旅人が話しかけます。「もしもし、和尚。私の人生はいつもうまくいかない。あなたはいつも座禅を組んでいるから知っているだろう。人生がうまくいく方法を教えてくれ」と。道林和尚は、「一つはよきことを思いなさい。もう一つは嘘をついてはいけません」と、二つのことを投げかけました。すると旅人は不満げに、「そんなことは10歳の童子でも知っている。もっと立派なことを言ってくれるかと思ったのに」と言いました。道林和尚はさらに「10歳の童子でも知っていることだが、80歳の翁でも実行できないことですよ」と答えました。

甚本的なことは80歳になっても難しい。まさにその通りです。経営者はそういう基本的なことができるようになれば、多くの人と関わることができる、多くの人を引っ張っていくることができると思います。


建築業のベンチャーとして

私どもは建築業界初のベンチャー企業として認められ、これまでに3つの賞を受賞しました。北洋銀行の「ベンチャー大賞」、札幌商工会議所の「北の起業家奨励賞」、そして林野庁の第1回「木材供給システム優良事業林野庁長官賞」です。3年ほど前までは、新工法のことを通産局にお話ししても、「建築業はベンチャーにならない」と取り合ってもらえませんでした。一般的にベンチャーといえばIT産業というイメージでしょう。

そもそもベンチャーとは、従来の方法や考え方を変えるということです。従来の建築業では設計と建設が別々になっていました。いい設計をしても施工が悪いとか、様々な問題がありました。そこでハウジングオペレーションという会社は、これを一つにするシステムを作り出しました。設計はアトリエアム、施工は藤田工務店というグループ会社がそれぞれ担当しています。ハウジングオペレーションがベンチャーとして認められたのは、材料の調達から製材、建築、住まい方に至るまでの全てをシステムとして見直した点にあります。

具体的には北海道のトドマツなどを中心とした全国各地の人工林を使用し、50年以上の耐久性を持つ家づくりに取り組んでいます。トドマツはひび割れやねじれが生じやすく、建築材には使えないと言われてきましたが、私どもは道立林産試験場と共同で独自の高温乾燥法を開発し、建築材として強化する技術を確立しました。これによって高性能、高規格の建築材を生み出し、さらに工場でプレカットして現場に送り出します。天然木で造られた家ですからシックハウス症候群は起こりません。さらに、日本の伝統工法に学んでなるべく釘を使わず、同時に耐久性を高めるために柱や梁などの接合部分に使う継手金物を新たに開発しました。これによって、在来工法の2倍の強度を確保し、さらに解体も容易になりました。こうして、日本各地の人工林の活用から、建て替え、リサイクルまでの一貫したシステムができあがりました。

商品ではなく、文化としての住宅を

こういった挑戦は、日本の建築業が抱えていた社会的問題を事業創造の機会に変えたという意味で、ソシオダイナミクス・ベンチャーとも評されています。

日本の住宅着工件数は昨年、約120万棟でした。アメリカは数年前のバブル最盛期でさえ約170万棟。アメリカは日本の2.5倍の人口であることを考えると、日本の住宅着工件数は多すぎます。これは日本の住宅の寿命がいかに短く、いい建物が残っていないということの現れです。実際、日本の住宅寿命は26年、これに対してアメリカは55年、欧州は75年となっています。

多くの日本人は25年程度しかもたない家を買って、ローンを払い終わった途端にその家はもうだめになっている。そこでまた家を建て替える。一生ローン地獄と戦っているわけです。国も景気浮揚策として国民にどんどん家を造らせようとする。25年以上もつ頑丈な家では、建て替えが不要になるから困ります。これでいいのかどうか、よく考えてみてください。

私たちは、住宅を商品とは考えていません。住宅を考えることは、生き方を考えることです。住まいを抜きにして人生はありません。住まいの中に人生があるのです。家づくりとは次代に残す文化活動であり、いかに生きるかを象徴する場なのです。さらに言えば、住宅とは国の文化です。欧州でも中国でも都市の街並みはとても美しい。ヨーロッパヘ行くと建物の写真を撮りたくなります。ところが、日本はどこへ行ってもサイディングの家ばかりで、建物の入った写真は撮りたくない。

住宅は商品ではなく文化なのだと。そう考えて私は経営を続けてきました。現在、わが社は全国で年間100棟ほどの、しかも非常に高級な住宅ばかりを建てています。

自分のやりたいことを追い求めて

経営の経は哲学であると言いました。住宅は文化だという私の事業も、最初はなかなか認められませんでした。どの山に登るのか、目標を持って経営にあたれと言いました。ベンチャーとして認められるようになったのは、時代が変わったのであって、私が変わったわけではない。何かが流行っているから私もやろう、としたわけではありません。自分は何をやりたいのか、どうやっていきたいのか、そのことをいつも追求した結果、今にいたったのです。

私はもともと図面が好きでした。工業高校時代も図面が得意でした。北海道アサヒビールに就職したときも、新しく建設する工場の図面を引いていました。ところが、だんだん売れ行きが悪くなり、もう工場を建設しないということでビール製造に回されたことで、私は会社をやめて建築の世界に入りました。

自分のやりたいことを徹底してやり、それを好きになる。それが成功する方法の一つだと思います。皆さんも自分のしたいことを、大学にいる4年間で真剣に探すべきです。恋人を選ぶときも同じです。同じ方向を向いているか、目標は合っているか。自分の考えている山の高さを話してみて、話が合わない人はだいたいだめです。片方は藻岩山に登ろうとして、片方は世界の最高峰に行きたいと思っているとする。これではうまくいきませんね。そうやって色々なことを試しながら、自分自身の道を探してください。


革新 中小企業論特別講義[講演録]
酪農学園大学 環境システム学部 経営環境学科

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