第三回”森の教室”in法然院
パネルディスカッション
21世紀を”緑の時代”
立松和平・梶田真章・石出和博・天野礼子

天野 今日お越しいただいた立松さんは、二つのことを続けておられます。足尾(栃木県日光市)ではがれきの山となったところに木を植える運動。そしてもう一つが、「古事の森」づくりです。

「古事の森」づくりというのは、大きなお寺などの修復に使う木を育てるという活動です。これは、立松さんが毎年参列しておられる法隆寺金堂の修正会(しゅしょうえ)で、声明(しょうみょう)を唱えながら、「古いお寺の建て替えに欠かせない樹齢数百年のヒノキがどこにもないじゃないか。」と思われたのがきっかけだったと、そう聞いていますが。

立松 そうです。およそ十三年前から修正会に参籠(さんろう)するようになりました。そこで木がどのように建築に使われているか、理想的な形を知りました。約1300年前の建物ですが、チョウナをかけると今もヒノキのいい香りがするそうです。この建築も、300年、400年に一度大修理をしなければならない。それに供するヒノキ材が今の日本の森に果たしてあるのか。

それなら今植えれば間に合うのではないかと考え、「古事の森」づくりを始めようと思ったわけですが、足尾の植樹も「古事の森」づくりにつながっているんです。

名人と言われた宮大工の言葉がまた建築のこころを定めさせた

石出 私は30年間、北海道を中心に建築をやってきています。建築を志して入った会社が宮大工を抱えていて、いまお話しの故 西岡常一さんのところへ、大工を修行のために送り出していました。西岡さんはこう言ってくださいました。「あなたが今つくっているものが50年たつと、その町の文化になる。そういうものをつくらなければいけない。本物の素材をうまく生かせば美しいものがつくれる。美しいものは必ず残ります。あなたは設計をやっているというが、図面だけでものをつくるのではなく、職人さんと一緒になって、建築にいのちをふきこまなければいけない。そういう責任感をもって建築をやらなければならない」と。

立松 僕は、旅ばかりしている人間です。いま旅人から見ると、日本の街はどこも一緒になりました。たとえば京都、さすがにこの辺りに来れば、京都は京都なんですが、しかし郊外に行けば、もう同じです。那覇に行こうが、知床に行こうが、稚内に行こうが、同じです。

ここまで均一な街が、日本でできてしまったのは、なぜか。経済グローバリズムというのでしょうか、要するにコストの問題だと思います。今の時代に、何に価値があるかといえば、やはり安いものです。何が安いかといえば、工場で大量生産されたものでしょ。それは、コストが掛からないから安いんです。そして、そういうものを売る店が「偉い」んです。

建物もそう。みんな工場生産されたプレハブのような建物。僕は建築のことはよくわからないけど、大工さんがつくったものと違います。今はもう、ホッチキスでつくっているような感じで、ボルトとネジ回しでつくってしまうんですね。でも、そのアンチとして石出さんの仕事があるんでしょう。

石出 私は十三年前から、誰も使わない、使えないと言っていた北海道のトドマツ、カラマツを建築に使ってきました。お客様ご自身の生き様を表現したいという想い、お客様にとって一番いい住宅をつくりたいという想い。私たちは、そういう思いでお客様とご一緒に高品格な家づくりを行っております。そうしてできた家が、本当にいい家、最高の家だと考えています。

安いものを買うことが「よい買い物」と考える
このサイクルからどうやって逃れるか

梶田 法然上人はこうおっしゃっています。「人は、善悪で生きているのではなく、損得で生きている。そういうことを、ちゃんと認めろ」と。「私が生きているのは、基本的には損得で生きているのであって、良いとか悪いとかいっているけれど、結局、自分にとって良いか悪いかだけなんだ」と言っています。

天窓のあるHOPの家。森の木漏れ日のような光が注ぎます。

自分の毎日の損得が第一で、それは安くて新しいものを買いたいということです。ですが、生産者のことを考えれば、高く買ってあげるほうが「よい買い物」なのです。安いものを買うのが、自分にとっては良い買い物だと思っているだけなのです。その延長で、ずっとこの社会をつくってきたわけですから、このサイクルから、どうやって逃れるかというのは大変難しい問題ですね。

立松 林業に対してもコスト、コストばかりいうのです。でも、いまの農業、林業が本当に苦しんでいるのは、後継者不足と高齢化です。あと10年たったら、日本の農業は消滅すると思います。林業は、もうほとんど消滅しかかっている状態だと思います。あと10年たったらどうなるか、なくなってしまうと思うのです。

はっきり言います。「農産物でも、材木でも、高いものを買おう」と。ただ、ムダに高いものを買うということではなくて、「安全なもの」「いいもの」でなくてはいけない。「われわれの消費生活が、生産者を助けていく。そういう部分を含まなくてはいけない」と思っています。

木も同じです。どんな想いで山をつくっているか。工場で、機械でできてくるものとは、違うんです。いま、日本の森が荒廃したら、生活のコストがすごく掛かってしまう。水道の水だって、全部森がつくっているんじゃないですか。そういうことも含めて、都市の住民というのは、コストを負担する意識をどこかで持たなければいけないと思っているのです。

梶田 今日はここ法然院にも、たくさんの紅葉狩りのお客さんが見えました。紅葉狩りに来られるほどだから、当然木や森に興味がおありだろうと思います。でも、どれだけの方が、本当に森のことを考えていらっしゃるかというと、大変心もとないわけです。 

今の、「都会人がコストを負担しなくちゃいけない」ことを、現実にどうしていくのか。つまり、農業を守るとか、森を守るとかいう意識のない人を、どうしていくのか、ということになります。

それは、簡単に言いますと、意識のない人には「税金を払っていただくしかない」ということです。買い物をされたら、それが、森林を守ることにつながっていくような仕組みを作らない限り、日本人の多くがそれに参加していくことは無理だという現実、それをみんなで分かりあったほうがいいと思っています。

森の担い手の高齢化はもう待ったなし
間伐材の使い方を今こそ確立しなければ…

石出 京都には、北山杉という有名な材があります。磨き丸太として有名ですね。この北山杉、どういう使われ方をしてきたか。この細い木を使って、茶室づくりや数寄屋づくりという、すばらしい建築技術を育んできたわけです。樹齢10年、20年、30年の木をうまく使って建築をしてきました。つまり、京都は「世界に誇る、人工林間伐材を使う技術を持った本家」であり、それが京都に受け継がれた「建築の技」ではないかと思っています。

自然素材をふんだんに使ったHOPの家。
思わず深呼吸したくなります。

それをまねて、日本中にスギを植え、ヒノキを植えてきました。そのスギの価格が下がって、世界一安いと言われていますが、間伐をしても金額が合わないので、誰も間伐をしなくなりました。でも、今こそ、間伐材を使うチャンスなのです。そこで必要なのは、その間伐材をうまく使うというシステムです。私は、どういう風にしたらうまく使えるか、いろいろ試みてきて、十年前に国産材だけで建てることができる新しい住宅供給システムHOPを創り上げたのです。

私たちのような会社が、全国にいくつもできていくということが「日本の山を救う」ということにつながると思っています。

立松 僕はもう一つ、NPOで「ふるさと回帰支援センター」というのをやっています。もう都会にしがみついていないで、定年になった人は田舎へ帰りましょう、という呼びかけをしているのです。

一般に、田舎へ帰ると聞くと、自分が農業をやる、帰農すると思ってしまうんですが、そうではなくて、本当にいま農村に必要なのは、商品開発力と企画力、流通だと思うんです。そういうのをずっとやってきた人が、もう一回地方で働かないか、ということです。林業でも、石出さんがおっしゃったように、企画力と流通力があればよみがえってくる要素というのはたくさんある、と思うんです。

天野 石出さんは最近、「緑の認証材」を使うといっておられますね。「SGEC(エスジェック)」というらしいのですが、そのことを少しお話しいただけますか。

石出 SGEC(エスジェック)といって、日本独自の「認証材」の規格があるのですが、オホーツクの人たちが、官民一緒にこの認証に参加すると決めたと聞きまして、私は「その材を使う」と、まず手を上げたわけです。

天野 材を使う人と、材を山から出してくる人、その両方がうまく回って、日本の山がよみがえるということだと思います。

石出 日本は世界でも有数の森林保有国で、国土の70%近くを占めています。林野庁の森林行政に対して、「失敗だった」という人が多いですが、この植林に関して、私は「よくぞここまで残したものだ」と思っています。植林に成功したからこそ、いま山に木があるのですから。この先輩方が植えてくださった木を、私たちがいかにうまく使うか、そのことにみんながもっと知恵を出し合い、行動すべき時なのです。


立松 和平 (たてまつ わへい)
作家

1947年、栃木県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。在学中に『自転車』で早稲田文学新人賞。79年から文筆活動に専念する。国内外を問わず、各地を旺盛に旅する行動派で、近年は自然環境保護問題にも積極的に取り組む。80年「遠雷」で野間文芸新人賞。97年「毒—風聞 田中正造」で毎日出版文化賞。02年、『道元の月』の台本を手がけ第31回大谷竹治郎賞受賞。07年、『道元禅師』(東京書籍)で第35回泉鏡花文学賞受賞。小説の他、エッセイも多数出版。


梶田 真章 (かじたしんしょう)
法然院貫主

1956年、京都市左京区、浄土宗大本山 黒谷金戒光明寺の塔頭、八はしでら常光院に生まれる。大阪外国語大学ドイツ語科卒業。大学入学と同時に法然院に移り修行を開始し、1984年7月、27歳で、法然院 第31代貫主に就任。翌年、境内の恵まれた環境を生かし、様々なケストスピーカーを招いて自然について考える場を持ってもらおうと「法然院森の教室」を始める。環境問題が今ほど話題になる前から始めた活動である。
また、アーティストの発表の場としても寺を開放、念佛会、佛教講座の他、 年間100以上の個展やコンサート、シンポジウム等が開かれている。現在、京都景観・まちづくりセンター評議員。京都芸術センター運営委員。きょうとNPOセンター副理事長。


天野 礼子 (あまのれいこ)
アウトドアライター

1953年、京都市生まれ。同志社大学文学部美学卒業。19歳の春に始めた釣りにのめりこみ、以来、卒論を「魚拓の美術的意義」とするに始まり、卒業後も就職をせず、国内・海外の川・湖・海を釣り歩く。開高健氏に師事し、“わが国初の女流アウトドア・ライター”の名を与えられる。「釣りだけでなくいろんなことが書ける」と開高師より推され、旅·酒·食のエッセイにも活動の場をひろげ、 開高師の監修による世界の湖への竿を持たない旅なども経験。
また1988年より、本州で唯ーダムを持たない天然河川・長良川を守る運動のリーダを務め、“日本の川のジャンヌ・ダルク’’と称される。趣味は、釣り・料理・昼寝。日本ペンクラブ環境委員。


石出 和博 (いしでかずひろ)
ハウジングオペレーション代表

1946年、北海道芦別市生まれ。北海道産業短期大学建築学科卒業。北海道アサヒビール入社、中堅青年海外派遣で渡米。米国の建築に刺激を受け、日本の伝統的建築を学ぼうと帰国後、茶室建築を手がけていた藤田工務店に入社。1971年 科学技術長官賞受賞。1989年一級建築士事務所アトリエアム(株)設立。その後、住宅、茶室、病院建築など多数の作品を発表。1996年、林野庁と道の支援を受け、道産木材活用システムハウジングオペレーション(株)設立。1997年、グッドデザイン北海道受賞。現在HOPグループ代表取締役CEO。NHK文化センター札幌教室「住まい塾」塾長。産業クラスター創造事業アドバイザー。

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