石出和博とアトリエアムの世界(ART BOX 社)
鼎談
千 宗室(茶道裏千家第16代家元) × 梶田 真章(法然院貫主) × 石出 和博

      梶田 真章(法然院貫主)          千 宗室(茶道裏千家第16代家元)            石出 和博

梶田 「法然院森の教室」を始めた1985年頃のことですが、東南アジアの方が日本へ来られて、いちばん驚かれるのは、日本では木がなくなったから、ウチに来て木を伐っているのだと思っていたと。でも、日本へ来てみたら、山は木であふれていて。なぜこんなにたくさん木があるのに、よその国の木を伐って帰るのか、それが不思議だと。

それを聞いて、これはおかしいぞと思っていたわけですが、そのうち石出さんが出てこられた。石出さんが、知恵として、この木の国をどう生かしていくかということを考え、実践しておられるということはすばらしいことだと共感しまして、今日の運びになったということです。

石出 私が、北海道の人工林を使って家を建てようと考えたのは、当時、林業をやっている故郷、芦別の同級生たちが、事業がうまく行かず大変苦しんでいるのを見まして、「どうして」という疑問を抱いたのが最初です。その頃、日本では年間180万戸も家が建てられていました。それなのに、なぜ苦しいのだろうかと思いました。一般消費者にはわからない部分なのですが、実際に市販されている木材は85パーセントが外材で、日本の木がほとんど使われていなかったのです。 現場で実際に使ってみますと、曲がるとか乾燥の問題でなかなかいい品質の木材が取れない。それを克服しようと思うと値段が跳ね上がり、ますます使うことができないわけです。

そこで、大学の先生方や林業の方々と一緒に協議会を作り、とにかく木の乾燥技術を確立し、流通をつくろうと考えました。そこからハウジングオペレーションという会社が生まれたわけです。今は、北海道の人工林を中心に、京都の杉、檜などを使って建築をしています。そして、使ったら植えています。お客さんも一緒になって木を植えています。豊かな森を次世代に残すというのも、私たちの大切な役割だと考えています。

同志が集まって「国産材を使う」ことで、日本の自然を守ろう、よその国の木を大量に輸入するのは止めようという動きが、ようやく始まったところです。

 私のところは古い建物が多くて。大体百年に一度くらいは修復をする必要があるのです。一番古い建物は、桃山時代ですか。新しいところで60年か、70年だと思いますが。その中に、お茶の式場として使っている一部屋、そういう広間があります。この広間の床柱が、松の古木を使ったものです。

その松は、8代目の家元が大徳寺に植えたものです。木は土地を選びますし、もちろん土地も木を選びます。そういうなかで、その松も、そう長い間はもたなくて、ある程度の大きさになってそろそろ寿命がきました。

その時たまたま、ちょうど修復の時にあたり、3代あとの家元の時代に、その木を床柱として使わせていただきました。

では、なぜその松を大徳寺に植えたのか。今のように植木屋さんがたくさんいるという便利な時代ではありませんから、冬の敷き松葉を採るための松として植えたわけです。家元のほうの土地も広さに限りがありますし、子孫のことを考えて植えたわけです。松が大きくなって、しばらくの間は、そこで採れた松葉を敷き松葉として使っていたとのことです。

ですから今、石出さんがおっしゃられた、自分たちが伐った木をまた補充していこうという考え方は、非常にすばらしいことですね。誰もが、自分一代で生きているというのではなくて、自分が出会うことがまずないであろう、その自分が命を渡していく人たちのために何かを残していく。財産だとか、そういうものではなくて。

8代目の家元が残してくれた、その松の床柱がいまもしっかり、ちょうど私が座る真うしろにありますが、なにか支えてくれているような気がします。私の家では、その柱を「代々柱」と申しまして、家元がそこに座って稽古をつけるならわしになっています。私も今年からそこに座らせていただいていますが、ちょうど背中がすれるあたりの色が変わっています。

11代目の家元のときにその床柱を据えましたから、わたしで5代ということになります。そこで代々、何となく背中にご先祖のぬくもりを感じながら教えることができてきたのではないかと思っております。
石出 私は京都でお茶室や数奇屋に学びました。一番勉強になったのは素材を生かすこころです。決して高価なものではない素材を生かしきっている。そこにある木を大事に使って、という感じが生き生きと伝わってきます。

石出 私は京都でお茶室や数奇屋に学びました。一番勉強になったのは素材を生かすこころです。決して高価なものではない素材を生かしきっている。そこにある木を大事に使って、という感じが生き生きと伝わってきます。

本来数奇屋建築や茶室は北山や吉野の山々で育った小径木材を使いきる技術です。今風に言うと人工林間伐材を使うということになるのでしょう。大きな武家屋敷や神社仏閣とは違う木材の使い方があったわけです。その技術がいま完全に忘れ去られようとしています。合理化とか新工法という言葉で伝統的技術が必要なくなることは取り返しの付かない技術の荒廃です。ハウスメーカーという巨大企業が家を商品として売る時代、全部標準品になっていて、腕のいい大工さんや職人さんは要らないようになっていくわけです。

しかし、住宅というのは商品ではありません。住む人が自分の家をつくることは自分の人生観をかたちにしているわけです。もう一度、そこに戻す必要があると考えています。

腕のいい大工さんや左官屋さんといった職人がいなくなれば、これは日本の文化にとって大変な損失ではないかと思うのです。京都はそんなことを伝えることができる土地なのです。

梶田 石出さんが北海道から京都を刺激していただくのはいいことだと思います。また、石出さんの造られる建築に刺激されて、京都の人が新しい伝統を生み出すことにつながればなおいいでしょうし。

最近、京都に「心の故郷」を感じるといって、文字通りに「心の眼で“光”を“観”よう」との観光目的で、全国からたくさんの方が見えられます。京都にとっては、大いなるチャンスだと思うのですが、何かそれを生かしきれてないな、という感じがします。

確かに京都には、文化の蓄積といった価値はあるんですね。ただ、京都人自身がそれに応えられるような暮らしをしているかどうかは、さてどうでしょうか。石出さんの想いにある京都が、今あるかどうかも試していただきたいですね。

石出 私は建築を志してから、審美眼を磨くために何度も何度も京都へ足を運びました。お茶室ばかりでなく、中庭とか露地とかいった空間にも本物の持つ基本的美しさを学びました。そんな美意識を遺伝子の中に持っている京都の人がうらやましくてしょうがなかったのです。

そんなとき、一冊の本に出会いました。それは、薬師寺西塔を再建された名棟梁、西岡常一(故人)さんの本でした。会いに行った私に、師はこう言ってくれました。「あなたがいま造っているものが50年経つとその町の文化になる。そういうものを造らなければいけない。本物の素材をうまく生かせば美しいものは造れる。美しいものは必ず残る。あなたは設計をやっているというが、図面だけでものを造るのではなく、職人さんと一緒になって、建築に命を吹き込まなければいけない」と。

梶田 それはよく分かりますね。逆説めいた言い方になりますが、いまの住宅の寿命が短いのも、材料や設備といったことだけでなく、古くなると美しく無くなる、というところにも原因があるのかもしれませんね。

石出 そうですね。本物の美しさは古くなって深くなるのだろうと思います。そこに愛着がわくのですが、工業製品が幅を利かせ印刷物か本物かの見分けすらできなくなっている時代。侘び寂びの精神世界を創り、繊細な文化を創り上げてきた日本人の美意識は、いったいどこへ行ってしまうのか、という想いでいっぱいです。

本物の素材といいますか、天然素材だから味わえる深み、落ち着きといったことも、「時間の贈り物」だと思っています。建築に携わるものが、少なくとも50年後、60年後のことを考えないというのは、怠慢というより退化しているのではと思います。家が、創るものから買うもの、つまり商品に変わっていったのが大きな原因のひとつだと言えるのではないでしょうか。

 そういった意味で、あとの人に対してやさしい思いやりを持つこと、それは次の代へのプレゼントという意味で、非常に大切なことだと思います。

私たち日本人は、こういった心から心へ伝えていくようなことを、この島国の中でずっと続けてきたのですから、石出さんの「森を建てる」というような運動が、これからも生活習慣のように、親から子へ、子から孫へ伝わって残っていけば、またそういった中で、いろいろ教えていけるようなことがあったらいいんじゃないかと思います。

何でもかんでも外国から持ってきて、それを扱っていたら、国際交流も、ひいては外交もうまくいっているかのようなこと、それも錯覚だと思いますね。とにかく、自分たちの身の回りでできることは自分たちでしようと。人に任すんじゃないと。

今日できることは、今日しようという気持ちは、絶対必要だと思います。私ども裏千家今日庵の、今日庵という言葉の発祥は、それは今日のことは先延ばしにしないというところからきています。目の前にあることに自分がしっかりふれ合ってみなさいと。自分の目で見て、自分の手で触り、自分の耳で聞き、自分の心で感じてなさい、というところから今日庵という言葉が生まれました。

私は子供の頃から両親が多忙で、ほとんど祖母に育てられておりました。ですから、その祖母の生活習慣というものが、自分の中に今でもしっかりと根ざしております。

朝起きると、祖母はまず最初に、坪庭に面したガラス戸を開けました。
そして縁側に足を一歩置いただけで、その日の気温がどんなのか分かるのです。

開けて、外の空気を入れる。そうすると、「その日」がどんな日か分かります。テレビをつけて、天気予報で気温が何度だとか、暑いとか、寒いとか言われなくても、自分が「その日」と出会えるのです。

梶田 今までの生活を続けていったのではだめじゃないかと、みんな思っているのです。これからは、物質的にも精神的にもしんどくなるような気がしています。そこで、物質的には少し足りなくなってきましても、精神的には「いかに豊かに生きていけるか」ということが大事だと思うのです。

私たちは、何かをすることに対して、見返りをほしいと思いすぎて生きているのですね。だけど、生きているというのは、もらっていることなので、あとは返していくだけなんです。ということに、あらためて気がつく必要があると思います。

仏教では、布施というのですが、いまの人はすぐに、布施をしたら何か返ってくるのですかとか、布施をしたらどういういいことがあるのか、という話になります。そうではなくて、布施するということは、もうもらっているのですから、できることでお返ししましょうということです。何か周りの存在に対して返していく、それが布施するということです。

いま生きているということは、もらいすぎているのです。日本人は、いっぱいもらいすぎて、あふれかえって、その中でどう生きていったらよいのか分からないんですね。情報もあふれていて。でも、情報はあふれているけれど、それが知恵とならないという、本当の悲しい国に生きていると思うのですが。

 布施の話ですが、臨済和尚という方の「外に求むるなかれ、求むるものあればすべて苦なり」という言葉がありますが、いまそれを思い出しました。

これは、見返りを求めるなということです。なにも、外に助けを求めるな、孤立しろということではなくて、依頼心というものが出過ぎますと、今度はそれでけつまずくわけです。また、何かを人に頼んで、何かをいただけたとしても、その量に対して、いずれ不平不満が出てくるということでしょう。このことが布施とつながるかどうかわかりませんが、たぶん同じような意味だと思うのです。

いま、私たち誰もが、何かお互いに見返りを求めすぎて生きているのではないでしょうか。

私の祖父は、北海道で急逝したのですが、その祖父が私の父にずっと言ってきたのは、「こういう茶道の家元の宝は、人だよ」と。人を育てることは、自分が育つことになるし、また人を育てようと努力するならば、自分がその人を指導できるだけの人間になっていかなければならない、ということでした。

あまり、おこがましいことは申せませんが、私は講演にしましても何にしましても、自分に言い聞かすつもりで話しをしています。家元を継承するとき、あんなに大騒ぎになるとは思いませんでしたが、その時にひとつだけ、自分のテーマとして申し上げたことがあります。Practice what you preach.「あなたが実践したいと思うことを、まずあなたが自分で実践しなさい」ということです。言うことは簡単ですけれど、言ったことを守らないという人間が多くなってまいりましたが、私は、自分が伝えたいことを、まず自分で実践しようと思っています。

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