リプラン 雑誌掲載 一畳に遊ぶ

侘びの極みを一畳に

和紙と障子、畳だけでしつらえられた一畳台目の茶室。美しい幾何学模様を描く桟に囲われたミニマムな空間は、温かな光に包まれ、不思議な安らぎに満ちている。設計したのは、HOPグループの代表である石出和博さん。グループの設計部門であるアトリエアムが25周年を迎えた記念に、石出さん自らが想を錬り、制作した。

遺芳庵の吉野窓を再現した ー畳台目逆勝手の茶室

この茶室のモデルは、明治時代、京都・洛東高台寺へ移築された遺芳庵。「客人が座す1畳と点前に必要な4分の3畳の台目畳によって構成される、侘び茶の究極の姿と言われています。切り詰められた空間で精神を囲い込まれ、魂を高揚させた茶人の修行の場。茶道の祖、千利休が追い続けた究極の宇宙観でもあるのです」。

昭和21年、芦別市の農家の長男として生まれた石出さんが、茶の世界と出会ったのは35年ほど前のことだ。

20代の頃、大手ビール会社に勤務し、工場の生産ラインの設計を行っていた。「当時、工場の建設で職場に出入りしていた建築家に建築の面白さを教えられ、夜間の短大に通って建築を学びました。その後、研修で渡米し、その豊かな暮らし、住環境を目の当たりにし、日本の住まいも古きよきものに学び、豊かで快適なものに変えたいと思いました」。

帰国後、29歳になっていた石出さんは、茶室建築を手掛けてきた藤田工務店へ入社。間もなく、本格的な茶室の設計を任された。ところが、躙(にじ)り口の寸法やその納まり具合など、何ひとつ具体的なことはわからない。幾度も京都に足を運び、名建築といわれる茶室を訪ねては詳細な寸法を測り、図面と向き合う日々が続いた。「お陰で、茶室は満足のいく作品となりました。しかし、その内に込められた茶の心は何ひとつわかってはいませんでした」。

茶の道から建築を学ぶ

初めて設計した茶室の施主を訪ねた際、石出さんは表具師の職人とともに茶室へと招かれた。「お楽にどうぞと言われて、胡坐をかき、味噌汁でも飲むように無造作に出されたお茶を飲みました。次にお茶を出された職人さんは美しい所作でお茶をいただきました。その姿を見て、それまでの知ったかぶりの無礼を心の底から恥じ入りました」。

モデルになった遺芳庵

石出さんは一念発起し、茶道の稽古に通い始め、茶の世界と積極的に関わるようになる。そして、茶室は茶を喫すると同時に、道を求める場でもあることを再認識。また、京都や奈良の茶席、数寄屋に通い、仏像や寺院建築のたたずまいにも強く惹かれるようになった。

ある年、秋も深まった薬師寺の境内で、西塔を再建した宮大工の棟梁、西岡常一さんと出会う。そして「50年経た後に街の文化になるような美しいものをつくらなければいけない、職人と一緒になって建物に命を吹き込まなければいけない」という、西岡さんの言葉が心の奥深くに響いた。そして、改めて目にする古都の建物は、空間を構成する自然素材を慈しむ思いが、優れた職人技によって滲み出し、長い歳月に磨かれてその深みを増しているように映った。床の間を飾る一輪の花。障子からこぼれる温かな光、土壁の風合い。目に触れる和の意匠は、石出さんの記憶の中に潜む五感を心地よく刺激した。

遺芳庵を実測してモデルハウス内に再現

「戦後の日本では、経済主義が消費社会を生み出し、自然や天然素材を生活に取り込む伝統技法は捨てられていきました。だからこそ、長年培われてきた美意識を今一度、取り戻し、審美眼を高めることができる本物の建築をつくり続けたいと願いました」。

その想いを実現するため、39歳で独立し、建築デザイン事務所「アトリエアム」を設立。さらに、北海道の人工林間伐材の乾燥技術を確立。森を育てながら、国産材だけを使った建築に取り組んでいる。「茶の道を通じた多くの出会いによって、心の眼が開かれ、建築に向かう姿勢が変わりました」。

人生は60歳からが楽しい

茶の道は、石出さんの仕事ばかりではなく、日々の暮らしにもさまざまな楽しみを運んできた。

自宅に茶室をしつらえ、自ら庭の花を摘んで床の間に飾り、穏やかな時間を一服のお茶とともに味わう。仲間内で茶事を催す時にも、茶花の準備は石出さんの役目。床の間に飾る一輪のために、前日から何本もの花を用意し、最も好ましい咲き加減のものを選んで、挿すのだという。「茶花は咲き始めが最も美しいのです。よい加減になるのをじっと待って、最高の一輪を選ぶ。これも、僕にとっては楽しい遊びのひとつなんです」。

厳選した茶花を挿すのは、年に5回は足を運ぶという備前のやきものが多い。「お茶を始めて、備前を知りました。運命的かつ魅力的な出会いが重なって、今では備前通いも生活の一部。茶事には使えませんが、中に何が入っているんだろうと好奇心をかきたてる壺が、特に気に入っています」と石出さんは、少年のように瞳を輝かせて語る。

このほかにも、若い頃に始めた写真も眺める世界が広がって、被写体が増えた。興に乗れば、重たい機材を背中に括り付け、屋根の上まで登ってしまう。また、書を見る、書く楽しみにも目覚めた。茶道を通じ、高名な作家と懇意になったこともあり、書が身近なアートになった。「僕自身、字は上手くもないし、正直、よくわかりませんが、その奥に秘めたものを感じる心の眼、日本人ならではの美意識を養うことが、大事だと思うのです」。

今年66歳になった石出さんは、60歳からが本当の人生の始まりだったという。さらに歳を重ねたら、もっと凄いことに出会えるのではと、70歳になるのをワクワクしながら待っているそうだ。「本当は家だって、好きなものにたくさん出会ってから建てたほうが良いものができると思っています。家をつくるって、人生最大の遊びですから」。

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