公共事業が変わる 天野礼子 著 「森を建てる」北の男
森林率が七割を超える北海道の森。この森がきちんと活躍できる用になれば、北海道の経済が甦ることはわかっている。
わかっていても誰も取り組まなかった。悲しいことに、間伐材をチップにすれば助成金が出るなどという安易な制度もある。
「誰もやらなくても俺はやる」。こう決意した男(ひと)がいた。札幌市の「北海道ハウジングオペレーション」の石出和博さんだ。
芦別周辺の国有林・道有林を中心に道産材の伐採、製材、乾燥を一括して行う産地直送システムを、芦別市周辺の製材業者と二組合いでつくり、輸入木材と比べ割高といわれてきた道産材を用いた住宅づくりに取り組んでいる。
芦別市における人工林植林の歴史は、第一次大戦から第二次大戦にかけて始まった。戦争には石炭が必要だった。芦別は炭鉱の街なので、坑道に使うために、成長の早いカラマツが大量に植えられた。戦後は国策で、家具材やドア材にできるナラ・セン・カバなどの立派な天然木が、アメリカなどに輸出するために伐り倒された。豊かだった芦別の森は丸裸になった。
その後もた国策と称して、成長の早い木を植え、紙の原料となるパルプを生産するように指導された。
しかしいくら成長がはやいといっても寒冷地の北海道。木が育たない間に、木材業界は赤字の悪循環に陥った。その後20年間、山は手つかずになっていた。
芦別生まれの石出さんは40年前、高校生の時にカラマツを植えるアルバイトをした。父が死んだあとの畑にもカラマツを植えた。そのカラマツ林が手入れがゆきとどかず風で倒れそうになっているのに誰も手をつけない。
6年前に、芦別の山の井上昌之さんに出会って、「ふるさとの森を助けたい」と話し合った。井上さんの経営する会社(株)イノウエは、昔はエンピツの軸板を作っていたが、ボールペンが普及しはじめた頃から製材に転換した。昔、炭鉱や木材業が盛んだった頃の芦別は78,000人口で森林の組合に入っている工場は13軒あり、そのうち3軒が製材が製材業だったが、今は井上さんのたった1軒。それでもまだ芦別市には「森」で食っている人が300人以上いる。
石出さんのネーミングの「森を建てる」とは、こういう人達の生活をたてることである。彼は今、三つの会社の代表をしている。
北海道ハウジングオペレーション(HOP)」は建築システムのプロデュース、アトリエアムは設計をうけもち、藤田工務店は家づくり。この三つがスクラムを組んで山元から出る道産材で、全国へむけて勝負をかけたのだ。
間伐材を建材に生かす
50年本当に持つ家を考え、それを安く建てる工夫をした。道立林産試験場の協力を得て、ねじれの多いカラマツの、割れやねじれを防ぐ高温乾燥法を確立した。50年という人工林のサイクルに合った耐久性を持たせるために、柱や梁(はり)など接合部分に使う特殊な金具も開発した。従来の三倍の強度だ。材と金具を製品にして現場へ持ち込むから、あとはそれを組み立てるだけ。施工日数が三分の二になるから、施主さんの負担も軽くなる。
これまでは国産材の家を建てるということ、大工さんが天然林にこだわり、奥山の最後の天然林の乱伐が心配されていた。それは材料費も高かった。しかし施主さんは、人工林や間伐材がいやといっているのではないだろう。海外の森林を破壊しない国内材で、気持ちのいい家が建てたいだけなのだ。安ければ安いにこしたことはないはずだ。
石出さんの元から私に最近、越前和紙に書かれた手紙が届いた。「やっと、変なことやっているヤツとか、自分が北海道の森を救うなんて気がおかしいんでないかと言われない時代が来たのかなと、中央の情報を伝えていただきホッとしています。今年も1月から順調な仕事のすべり出しで、昨年の50パーセント増の受注です。人工林間伐材をもっと世に出し、山の再生を進めたいと考えます。今年に入ってからも京都から二、三棟注文が入りました。それも山科と伏見の高級住宅街にお茶室付きの百坪ほどの邸宅です。北海道の人工林材で京都に乗り込む気持は、日本の本物の伝統の本場に里帰りする気分です。
九月には、野花南(のかなん)(芦別)の井上さんと一緒に植林を行いますが、広さ・本数とも何十年ぶりになる規模です。野花南(のかなん)という美しい地名は私の故郷で十八までいましたが、アイヌ語で『美しい花の咲く美しい水の流れるところ』という意味です。五年前から植樹の申込みをしていたのがようやく決まりました。
国有林ですが、見わたす限りの広さで、入りやすい丘陵地帯、札幌からもバスで乗り込む計画で、参加する皆さんには、三〜五本を植えて楽しんでもらい、その後ジンギスカン鍋を囲みます。子供も一緒に、自然にふれることが一番です。そのあと本格的な植林事業が芦別の山の人達によってひさしぶりに行なわれることになるのですが、私たちの手植えは言ってみればオープニングということになるのでしょうか。
50年後にはもう生きて見ることはできませんが、私の脳裏には森が浮かんでいます。日本中で皆んなが、ふるさとの森の木で家を建てれば、日本の森の復活が必ずかなうと信じています」
50年サイクルで伐採される芦別の間伐材で家を建てるごとにその分を新たに植林してゆくと、50年後には成長して材となり、また使えるという循環によって、自然とのバランスが確立できる。
石出さんは、施行を担う工務店の全国フランチャイズ展開に乗り出した。今後3年間で FC工務店を100社組織し、年間2000戸の受注を目指す。新たに留辺蘂町の木材加工工場とも契約を結んだ。
「道産材を使おうとした時も笑われたが、ここまで来た。道内の森林を活かしてやれば年間4万戸分の木材をまかなえる」
この男、本気である。一緒にやる男(ヤツ)はいないか?
この森づくりを、自治体の公共事業にする男(ヤツ)はいないか?
公共事業が変わる
天野 礼子 北海道新聞社