北空知PTA連合会母親研修会講演 人を生かして人を創る

私と弊社について

たいへん過分なご紹介をいただきました。私はHOPグループ、ハウジングオペレーションという会社を率いております石出でございます。紹介いただきましたような世界的な建築家というと大げさでありますが、昨年まで、中国の上海と瀋陽で団地計画設計をしておりました。

私の生まれが芦別ということで、芦別駅前の生活館や北日本精機本社社屋、工場そしてゲストハウスなど芦別で多くの仕事をさせていただいております。

私の会社は、高級住宅を中心に仕事をしておりまして、社員が工場を入れて100名ほどで、本社は札幌にございます。横浜みなとみらいと、京都市役所の前の本能寺会館にそれぞれ支社がありまして、全国で100棟くらいの注文住宅を手がけさせていただいております。

皆さんのお手元にお配りいたしました、わが社の広報誌『HOP通信』の中にもありますが、東京では今年3月に、歌手の長山洋子さんの住宅を手がけました。
京都では歴史ある町屋の改修工事や茶室建築を手がけております。

私どもは、芦別を中心とした北海道の人工林や、タモ、ナラの木を使って全国で建築を展開しております。芦別の林業関係の皆さんにはたいへんお世話になっております。

故郷芦別の林業と、山に寄せる思い

芦別の林業に関して言えば、昔から芦別のナラは世界的に品質が高く、戦前戦後を通して、イギリス、フランスの高級家具の材料として大量に輸出され、芦別の材料が世界的に脚光を浴びた時代がありました。

しかし、戦後は日本の林業全般が振るわなくなりました。近年特に北海道は戦前戦後に植えられた人工林の木々がほとんど使われないという状況が続きました。この地は特に建築材として植えたのではなく炭鉱の坑木として、成長の早い木を必要としたということもあるのでしょう、かつて世界的に注目された林業地帯であるにもかかわらず、現在、北空知の建築材料の8割ぐらいは外国から入ってきています。
北海道の林業を再生させるためにはこの人工林の活用以外に道は無いのです。

私は芦別市野花南で生まれました。4歳の時に父親を亡くしておりますので、母親の手一つで育てられたのですが、家が山を持っておりまして、「おまえが大きくなったときにこの木が身を助けてくれる」と、母親と一緒にカラマツをたくさん植えました。ところが残念なことに、私が50歳になっても、ただの1本も、それを使えるという状況はなかったのです。

小学校のときです。私は、同級生7人を鉄道事故で亡くすという悲しい経験をいたしました。日曜日、学校に遊びに行くための道路の橋が工事中で、そのため線路を渡り、その鉄橋での事故でした。たまたま私は同級生の前を歩いていて、土手に飛び込んで助かったのです。そういう意味で、人生の出発の時父を亡くし、友達と別れ、「自分が生きていることの不思議」ということを幼くして思い知らされた、貴重な、けれどもつらい経験が含まれています。

芦別にはこの会館の裏手に『北の都 芦別』の大きな観音様がありますが、私は亡くなった同級生や、芦別炭坑の落盤事故で命を失った多くの方たちへの弔いであろう、と素直な気持ちで拝見しておりますし、たいへんいいお顔をしている観音様だとしみじみ思います。

さて、芦別もそうですが、炭坑の町は日本の大財閥の主導によって、日本のエネルギーを掘り出してきました。ところが廃坑になったとたんに、何一つ残して行くものがなくて、廃坑だけが残されました。私は建築で全国に出向いておりますが、全国どこの街に行っても、その街の歴史というものを感じます。それぞれに特有な町並みがあり、歴史を刻んだ文化的なたたずまいがあります。たとえば鰊漁で栄えた町には鰊御殿などの文化遺産といいますかその町の財産としての文化がきちんと残されています。しかし、炭坑町だけは廃坑のあとのボタ山や石炭を引き上げたという鉄骨のたて鉱、炭住の跡地が歴史だといわれても、どうもぴんとこないのです。財閥は何も残さなかった。

私は芦別の町をたいへん愛しています。芦別の山で育った人工林を使って、全国で建築をしておりますが。この地で育った木を使い、そしてこの地で毎年、毎年植林をしています。私は、自分が育った町で子どもの時に夢みて植えた木を、「いかに使うか」ということを真剣に考え、それを実現したいと努力してまいりました。そうしてその思いが実現し全国に、芦別の材を送り続けているのです。

わたしは高校を卒業するまで芦別で過ごしました。芦別工業高校で、たいへんいい出会いがありました。お名前は忘れてしまいましたが工業高校の製図の先生が、私の設計がたいへんうまいとほめてくれました。「君は設計技術で飯が食えるよ」と励ましてくれました。私はその先生の言葉通り、アサヒビールに入社し設計に携わろうと考えました。

しかし、製造課に勤務になり10年間勤務し、アメリカのビール工場への視察に派遣されました。
その時見たアメリカの建築の素晴らしさや生活習慣のレベルに触れ、一生働くのであれば、機械ではなく、建築の設計がしたいと強く思うようになりました。そして勤めを辞めて建築の道に入りました。28歳の時でした。

私は建築の設計をやるのであれば木を習おう、五重塔や法隆寺のような日本の伝統建築を設計できる人間になろうという志を立てました。

それで、札幌では施工技術に定評のありました藤田工務店に入りました。そこで3年間大工の帳場見習いをやりました。それまではビール産業というたいへん綺麗な環境で仕事をしていた人間が、工務店というまったく違った場所に飛び込んだわけです。職場環境のあまりにも大きなギャップに、当初はショックを受けました。

例えば、現場には昼ご飯を食べる場所もなければ、小用を足したいときにトイレもないのです。今でこそ仮設トイレが普及しましたが、その頃はそのようなものはありませんでした。そういうことがイヤでイヤでたまらなかったものですから、私は現場に仮設トイレを設置するようにしました。札幌には当時、住宅の工事でそのような現場はありませんでしたから、札幌でいちばん最初に現場に仮設トイレを置いた工務店として、紹介されたりいたしました。

仮設トイレのこともそうですが、私は、家を造るということ、それに参加するということは、造る側にとって、もっと人間らしい、喜びのある仕事であって欲しいと思いました。そして、そのような環境を作るために一生を捧げて行きたいと思ったものです。

それから10年目で念願の設計事務所を創りました。アトリエアムという会社です。これは、単なる建築をするだけではなく、お客様のライフデザインまでご提案できるような、意識の高い仕事をしたいという、願いのこもった設計事務所です。
この会社が、現在日本を代表する設計事務所に育ち、全国で素晴らしい仕事をしております。

自分の生きる道を大きく転向してまで建築の道に進み、一生懸命生きてきた甲斐があったと思います。お蔭様でそのころ考えていた理想の家造りができる環境やシステムが出来上がりました。

志のある会社でありたい。ハウジングオペレーションの仕事

私どもハウジングオペレーションという会社について、少しお話しいたします。
現在、日本の建築業界は、この芦別でさえ、外国から7割8割の材料を入れなければ建築ができないという状況です。地元に豊富な木材がありながら、いざ家を建てるとなると、輸入材に頼らざるを得ない。私は、この地の豊かな森林資源を生かす方法はないかと考え続けておりました。

私は以前「山が死ぬ」という言葉を耳にしました。山が死ぬとはどういうことでしょうか。私は、北大植物園の園長さんだった、辻井先生にお話を伺いました。人工林での最初の植林は、木と木の間隔をそれほど空けません。

ところが木が成長して枝が張ると、木と木の間隔が狭いものですから、地表に陽が当たらなくなるのです。陽が当たらないので、草も生えない。枯れ草などによる自然のたい肥がないので、非常に栄養に乏しい土壌になります。

山は広葉樹が育って葉が落ちて、それが腐って、たい肥になる。太陽の光と水の力で木が育ち葉が広がり、葉が土壌を肥やしていくのですが、全部が針葉樹の山になると、それができません。だから土が死ぬのです。土が死ぬということは、山が死ぬんだということです。

台風がきて雨が降ったときに、山崩れの情報などがニュースになりますが、よく見ていてください。崩れるのはぜんぶ人工林、スギの林なんかが崩れるんです。それは人工林に間伐などの手入れがされないために、土が死に、山の生態系が崩れて、山が死にかかっているからです。

四万十川は日本で一番の清流といわれていましたけれど、今は既に汚れ始めています。雨が降るたびに、上流から土砂が流れてきます。それは、上流に、土をとどめておくだけの充分な森の機能がないからです。

ある日、高知県から四万十川を助けて欲しいとメールが入りました。私たちが、森林資源の有効利用を通して、森を再生させる活動を行っていることを知ってのメールでした。

現在は、芦別の材料と四万十の材料を交流させて、これを使おうという方向で話を進めております。

山と川は非常に密接なつながりがありますので、日本の山が死ぬということは、日本の川が死んでいくということです。

10年前まで、芦別の人工林はほとんど使われないという状況でした。私は10年前からそれを使い始めて、3年かかって、林産試験場と共同で乾燥技術を開発しました。120℃の高温乾燥技術を開発したのです。しかし、120℃で乾燥させると、檜ですとヒノキチオイル、その他の木ですと俗に「森の香り」といわれるフィトンチッドなどの成分まで蒸散してしまうことがわかりました。フィトンチッドは抗菌、防虫、消臭などのさまざまな働きがあるといわれているものですが、それが蒸散するということで、高温乾燥はシロアリに弱いという論文が一昨年出されました。

その結果、芦別からの材料の出荷が半減するという事態になりました。そこで、この1年間をかけて、今までの技術を応用して、曲がらないという特性は生かしたままで、乾燥温度を80度まで下げるという方法を開発しました。特許出願中ですが、どうにかして、地元の木材を使いたいと切実に願い続けて、やっと開発した乾燥方法です。この開発で日本の人工林が大量に使われることでしょう。

植林し、その木を伐って使い、また植林する。植えた木を育ててまた使う。そのサイクルはだいたい50年くらいです。今、芦別で成長しているのは、植林してから40年から50年経った人工林です。直径25センチ程度まで成長していますから、建築材として充分に使えます。

今、日本の人工林の木をちゃんと使うと、日本中の建築木材は、それだけでまかなえるのです。外国から買う必要はなくなります。そうすると、山が再生します。大切なことは、日本の山を生かした仕事をする。人工林を生かすということで世界の環境に貢献することになるのです。

そしてそのことによってこの地に基幹産業をもう1度持つことです。芦別にはこれだけの人工林があるのですから、この資源をいかに使うか。この地域はそのことに自信を持って挑戦していってほしいと思うのです。

HOPはどういう人を育てたいか

今、わが社のグループがやっている仕事の中心は社会貢献事業であると思います。企業が儲けるためだけに仕事をする時代は終わりました。いかに社会に貢献するかということに、企業の生きる道があると思います。そういう中で、もし自分だけが儲かれば良いという考え方で事業をしているのであれば、お客様も従業員も下請けも誰もついてきません。

人を幸せにするために会社をやっている。お客様を幸せにし従業員を幸福にするために会社を創っているんだと、正々堂々と言えるような社長であり幹部でなければ、人を使っていくことはできないのではないかと思います。

私は、通算すると、何百人という若者の採用を続けてきました。採用面接の時には、「君は何のために生きているんだ」、「何の目標があって頑張っているんだ」ということを訊ねます。ほとんどの若者が、学校や就職支援の会社が想定した質問に対して、答えを用意してきますが、私は想定外の質問をするんです。
「何のために生きているのか?」
生きるために生きる。自分が成功するために生きる、などなど応えはいろいろです。
では「なぜ成功したいのか?」「成功してどうするのか?」
そうやってその人が生きてきた生き様を徹底的に問いつめていく。それがわが社の面接試験です。
「人は何のために生きているんだろう?」という疑問は、私自身幼くして父親を喪い、小学の多感な時期に友だちを列車事故で亡くすという悲痛な体験から嫌でも考えなければなりませんでした。
「人間が生きるということはどういうことなのだろう」、「なんのために生きるのだろう?」そういうことを考えて生きることが、実は人生において非常に大事なことなのだと思います。

そして私は今までの仕事を通じてそのことを抜きにして生きてきた人間の薄さを感じることが出来ました。自分は何者か、そしてどこに行くのかを考えて考えて考え抜く、その中から原理原則を大切にするというか、人間が生きていくうえで何が本当に大切かという気付きが一番重要なのです。

採用試験の面接の時に、「早く親に楽をさせてあげたい」と答えた若者を、無条件に採用して、私と一緒にあなたの親を幸せにしようと、そういう風にして採用した若者が何人もいます。「そんなこと」と思うでしょうが、仕事も家庭も人生もそういう基本的なことがしっかり出来る人間が成功するのです。いま時代は原理原則を忘れてしまっています。
親は大事かい?
親は何を考えているの?
親をどう思っているの?
お父さんはどんなふうにあなたにかかわってきた?
お母さんはどんなふうにあなたに期待しているの?

こういった、親に関する質問に対してきちんと応えることのできる若者は、会社に入っても、立派に働く子どもたちです。話を聞けば、この子は親のことをしっかり理解しているなー、あるいはこの子の親は子どものことをしっかり認めているなーと、そういう見えない部分のことまで、感じ取ることができます。

私たちが会社をやっていく上で、そのような基本的な部分を大切にして、自分がなんのために働いているのかという気付きが大切なことなのです。
仕事で家を造るときに、自分の都合だけを考えていたのでは、お客さんのことを考えることができません。

目の前のお客さんのことを考えて、考えて……。どうしたらこのお客さんに満足していただけるか、喜んでいただけるかを考えるということです。相手に関心を持つということです。そういうことができない社員は、仕事をしていく資格がないなと思いますし、その根底は親を思う気持ちと一緒であります。

みなさんがもし家を建てるとして、わが社の社員が担当者として皆さんに付くとします。その社員が、お客さんに関心がなければ、どうして家を頼めるでしょうか。

仕事をするというのは、その部分がポイントなんだと思います。

いま多くの子どもたちが犯罪を犯したり、親が子どもを傷つけたりするというなんとも空しい時代です。いま原理原則が忘れられています。

あなたも私も、今ここにいるのは奇跡なのですよ

採用試験の時もそうですが、若者にあなたがここに今いることは奇跡だ、という話をします。私にはお父さんとお母さんがおり、そのお父さんとお母さんにも、また親がいる。私に至る幾代もの先祖の、どこかが欠けても今の私はいない。100代200代続いていまここに私がいるのであって、その中の夫婦のどちらかたった一人が欠けただけでも、あなたはこの世にはいない。あなたもわたしも、何千億という組み合わせと確率の中から生まれた、たった一人の人間なんだということです。最終人間なんだと・・・。

でもこういうことを言ってもピンとこない若者には、次のようにお話します。一回の射精に4ccから5ccの精液が出ます。その1ccに1億匹の精子が入っているんだ。だから4億から5億分の一が君だったんだよ。隣の精子が受精していたら君はこの世にはいないんだ。
それを何百代も重ねて君がここにいるんだよ。そのような、奇跡を経て、あなたもわたしもここにいる。あなたは選ばれた人間なんだ、その奇跡に応えるために一生懸命生きることが、あなたにも私にも課せられた使命だし、生まれてきたことの意味なんだよ、ということを私はお話をするのです。

お母さんに感謝する、お父さんに感謝するという基本的なことがわかるということが、社会に感謝し貢献したいという人間に成長するという思いを兼ね備えた人物なんだと思いますし、その気持ちがある人間に育てることが教育の真ん中なんだと思います。

みなさんは、家は商品として買うものだと思っているかもしれません。しかし、自分の家というものは自分の生き様の表現です。人生の集大成を、家で表現するのです。

お客様の中で、家はどうでもいいんだ、家は女房にまかせてあるから、という男性がいます。私は、そういう方に「あなたは人生を半分捨てているんですよ」と申し上げます。

家は商品として買ってくればいい、30年も経ったら建て替えればいいんだ、という。例えば、ローンが終わったら、また建て替えればいいんだ、と思っているような親だったら、子どももその真似をします。

ものを大切にするということ。家を大切にするということは、まさしく、その中で生きている自分自身を大切にするということです。その中で生きている自分の生き様、子どもや、親や、家族を大切にするということです。ですから、家を建てるときには、子どもさんと一緒に来てもらう。私たちが打ち合わせをするときには、子どもさんも一緒にその打合せの場に入ってもらう。そして家を建てるときに一緒に相談をする。子どもさんに、自分の部屋はどんなふうにしたい?と聞くんです。その時の、子どものひと言ひと言を、きちんと受け止める親は、立派な家庭を築いています。

親が教えられること、学校で学べること

子どもを見れば親がわかる。親を見れば子どもがわかる。子どもは親の生き写しであるということを、もっと学校の先生は声を大きくして言うべきです。子どもがうまくいかないというのは、親の責任である、というくらいの気持ちで、人を育てるべきだと思います。

親が子どもに教えられるのは、ものを大切にする、親を大切にすること。自分が今生きていることにはどういう意味があるのか、ということを子どもに見せることです。

旅行や催しものに行ったりして、いろんなシーンで子どもとの接触を図る。または父親の働いている生き様を見せる。これらは当たり前のことだと思います。なかでも、父親がどのような思いで生きぬいているかということを、家庭で話さなければなりませんし、背中で語らなければなりません。そうでなければ子どもは、父親がどのように生きているのかということについて、説明できるわけがありません。

中学・高校と、私の家でも何度も学校から呼び出されました。女房は何度か出向いていましたので私が行くことにしました。
お宅の子どもはみんなとちょっと性格が違う、と言うのです。どう違いますかと聞くと、行動がずれているというんです。お宅の娘が校則を破っている・・・と、こんこんと先生に言われました。「ではそれがどのような問題なのか?」それで退学ならそれはそれで仕方がない。わたしは開き直って言いました。慣習で縛ろうとすることに何の意味があるのかと感じたのです。
かしこまって横で聞いていた娘は職員室を出ると「ありがとうパパ」、そういって抱きついてきました。

北海道は寒いのに生徒はみんなが生足(なまあし)といって、冬でも素足でいる。私は、そういうことを娘にさせませんでした。厚着をさせました。すると、みんなと違うという。無理にスカートをはかせて、ルーズソックスに生足なんていうよりも、ズボンにします、と。子どもを守るためにそうしましょうということを、親が言ったっていいんだと思います。いや家庭だけでなく、学校でも真冬のマイナス20度の中で素足でいる異常さ、先生方は素足で体験してほしい、30分も耐えられないはずです。
なのに何故、黙認するのか。子供はファッションでやっているのではない、皆がやっていて仲間はずれになることが嫌なんだ。大人たちの怠慢としか言いようが無いと私は思う。
厳寒期はズボンにしようとそれこそ校則で決めればいい。それが子供を守ることなのです。

学校で問題だといわれた上の娘は、29歳ですが薬剤師になって活躍しておりますし、下の娘は京都で大いに活躍しています。
子供に人生何が大切かということを親が教える。そのとき親はまず自分の生き方を示すべきではないでしょうか。親としてこういう生き方をしたいのだ、という生き様や目標を子どもに見せるべきだと思います。それが親の役目ではないでしょうか。同時に学校の役目というものは、その個性を大事にすることなのではないかと思います。

今から8年ほど前に、非常に貴重な体験をしたことがあります。ある中学校の教頭先生が校長先生になられました。書道家でもあるその先生とは親しくさせていただいており、いろいろな作品を書いていただいておりました。たいへん素晴らしい先生です。

その先生が中学校の校長に赴任したときは、その学校が一番荒れていて、新聞にも報道されるという時でしたので大変悩まれたようです。しかし先生はなにか殺伐とした校舎を生き返らそうとしておりました。そこでまず玄関の下駄箱を低くして、互いの顔が見えるようにしたいから私に手伝ってほしいということで、先生は自分で下駄箱を切ってしまいました。

そうして、玄関の正面にニコニコ笑っているおばあちゃんの畳一枚もある写真をドンと掲げた。「おばあちゃんありがとう、」と、写真の横に大書された書がありました。写真は北海道文化奨励賞を受賞した写真家の佐藤雅英さんが撮影したものでした。

廊下のあちこちに、あたたかい言葉を書いた短冊や大きな書が貼られていました。学校が荒れているから、「そんなものを貼ったって、すぐはがされて1週間ももたないと教頭や先生方から言われいるんですよ。」と校長先生は言っておりました。はがされたら、何度でも書けば良いのだとおっしゃって。とにかくやさしい先生なのです。

半年くらい経ったころ、学校に行きましたら、あんなに荒れていた学校が穏やかになったようで、書や写真は一度もはがされたことが無かったということでした。そして廊下ギャラリーのある学校として全国から視察にこられるようになったのです。
ほとんどの学校では校則とか校歌とか規則とかが掲げられたなんとなく殺風景な風景しかないのではないでしょうか。そこから変えようとした先生はほんとうの人間の価値を知っている人です。

学校で先生ができることは何でしょうか。知識だけでなく、私は本物の美意識を教えること、人の心の気づきを教えること、人間の生きる志をあたえること。この3つではないかと思います。

歴史上の人間の生き様や、人々がどういう風に生きたかということを、読書を通じて知っていく。何の志によって彼らは生き抜いたか。なぜ彼らはそうしたか。そういうことを、教えることが本当の教育ではないかと思うのです。それは先生の生き方そのものの反映であります。そういう先生がいま必要なのです。
 

私は北星短大時代で10年間、非常勤の講師としてインテリアを教えました。美しいデザインが好きだということは、いかに人生を豊かにするか。審美眼を磨くということは、人を見る目を高めるということと同じだと教えました。

美しいものを見極めることとはどういうことでしょうか。美しいものとは、ただきれいだということではありません。そこにある、凛と輝く何かを見抜く力が必要なのです。

私たち日本人は、日本文化の「わびさび」に象徴されるような、非常に繊細な精神力を持った国民でありますから、どんな子どもでも、「わびさび」を感じるように生まれた遺伝子があると思います。
「わびさび」を見いだす一番簡単な方法は、古くなって美しいかどうかです。古くなって深くなるかどうかです。古くなって汚くなってしまうものは本物ではありません。それは人間も同じです。年をとって美しくなっていくものが本物の人間であると思います。

家づくりでも、古くなって深くなる、美しくなるという家づくりが私のテーマです。
家造りは人生そのものと言いましたが、そんな重要な問題に取り組むために、本物の材料を使いたい、それが芦別の本物の材料を使うという行為の根本にあるのです。

人生で成功する人は、良いものを見抜く目を持っています。親が、美しいものや本物を子どもに教え、与えれば、子どもはほんとうにしっかりしたものを見抜く目を持つようになります。ですから私は、面接の時に一生懸命、その人が親から何を教えられたかを聞くわけです。

私は、人間は必ず誰でも天才になれると思って過ごして参りました。会社を作って、20年、いろいろな人を採用してきましたけれども、その中で、ほんとうに仕事ができる人、そこそこできる人、できない人、という差があることに気がつきました。出来る人と出来ない人の差は何かというと自分自身の自覚、自分でものを考え、生き方を自覚した自燃の人かどうかということです。1パーセントの成長の可能性を信じることの出来る自燃の人です。そして自ら燃え無から有をつくることの出来る人には美意識があります。その審美眼は人々が見えないものをも見抜きます。

素質を持った人間を育てるためには、親や先生が子どもに美意識を教えることです。そして子どもにほんとうの生き方を教える。人間の個性は生きるためのエネルギーであります。

常に与えられることに慣れてしまった子供たちに自分を取り戻させるのです。そういうことをちゃんと身につけている人間は、例え何かで多少崩れても、ちゃんと立ち直っていくと思います。「人生は決して転ばないことではなく転ぶたびに起き上がることにある」ということを大人は身体を張って教えるのです。

人間の表面に出てくるのは潜在意識にあるものの中のほんの1割です。しかし、子どもは親が持っている意識、親と過ごした中でこそ刻み込まれた潜在意識に大きく影響されるのです。親はその自覚こそ必要なのです。

会社の社員教育で大切にしている事柄について

社会に出てまず大事なことは何でしょうか。能力は大事ですね。知能、運動能力など、能力が人生を決める。しかし東大を出た人が一番良いか?というと、それだけでは測れません。

私は能力のほかに、熱意や自分で何かを勝ち取っていく情熱が必要と考えます。

私は自分の能力は60点くらいだろうと思っていますが、熱意だけは負けません。能力だけがあって、熱意がないというのは、能力がないのと同じです。多少能力が低くても、熱意があれば、問題はないと思います。能力があって熱意がある。これが人間が生きていく中で非常に大切な要素であると思います。

もうひとつ、人生を決定していくのは考え方じゃないか、と京セラの稲盛さんは言っています。考え方というのは、ものごとをプラスに捉える心。親に感謝する心。社会のために貢献したいと思う心。ものが落ちていたら黙っていても拾うという心。そういう優しい心です。いくら能力があって、いくら情熱があっても成功しない人は、どちらかというとニヒルなマイナス思考の人ではないかということなのです。そしてそれらが掛け算で影響する、ですからマイナス志向の人は積で答えが出ますから全部マイナスになるということです。

大いに喜んで仕事をする。それは自分を幸せにするだけでなく、かかわったすべての人を幸せにすることです。私は、ハウジングオペレーションという会社を通じて、そういう青年を育てているつもりであります。
ですから私たちの会社の社是は「人を幸せにする人が幸せになる」であります。

本日は私の話をご静聴いただき、たいへんありがとうございました。PTAの役員のみなさまを前にして、若輩の身で生意気なことを申し上げましたが、なにかの参考にしていただければ幸いです。

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