読売新聞 「北海道の明日を開く」シリーズ16 記事 道産材「本物」への好機
読売新聞支社長×石出和博

中国の旺盛な建設需要の影響で、世界的に木材価格が高騰した結果、道産材の利用に注目が集まっている。しかし、ハウジングオペレーション(HOP)は、10年以上も前から道産材を使って地道に市場を開拓、首都圏や関西にも道産材を使った戸建て住宅を建ててきた。住宅業界から見た北海道の進むべき方向は、石出和博社長に問いた。
(聞き手浅海保•読売新聞北海道支社長)

ロコミで浸透

浅海 HOPグループの設計・施工した家が、道内外で評価を高め、本州にある地方銀行の頭取の家も、設計・施工されたと聞きました。

石出 コストダウンのために材料を安くした無機質な家は造りません。木の癖を生かした、他にまねのできない高品格な家を造りたい。道産材を活用するのもそうした思いからです。

浅海 高価になりますね。

石出 予算の中で実現できる最高の家を造ります。私たちの考えに共感していただける方であれば、あらゆる生活パターンに応じ、家を建てていきます。

浅海 理想的過ぎでは。

石出 「家造り」は「お客さんの財産を作る」と同義語だと思います。「人生の場」を作っているとも言え、住む人の人生観すべてが表親される。でも、家を造って満足している人は3割しかいないと言われます。お客さんが幸せだと思える満足いく提案が出来れば、営業マンがいなくても、ロコミでお客さんがお客さんを連れて来てくれる。理想的なのでなく、当たり前のことだと思います。

浅海 日本の建築文化を「使い捨ての住宅文化」と批判されています。

石出 戦後に家を大量生産した考え方が間違っていたのだと思います。大量生産された家は愛着を持てません。家に愛着を持てなくなっているから社会もすさんでくるのです。日本には元々、法降寺などに見られるように1000年先でも通用する設計・施工の文化がありました。自然に近い昔の建物は本当に美しい。当社の「森をたてよう」という基本概念は、まさにそのことを意味しています。

浅海 最近では横浜と京都に支社を設け、本州での展開が目立ちます。

石出 道産材を使った家は600棟ぐらいにはなっていると思います。そのうち、本州の家は1割程度です。本州の家についても、札幌の丘珠の工場で建具・家具をすべて作って持って行き、京都と首都圏では認定工務店を選んで、組み立てます。京都に出て5年、首都圏に出て8年、今では仕事が多く間に合わない。口コミの威力を本州の仕事から学びました。

北海道の森

浅海 道産材の利用にこだわったのは、出身が森に恵まれた芦別市だったことと深い閲係があったのでしょうか。

石出 中学や高校生だったころ、芦別では炭鉱の坑木用にカラマツを植えていました。ところが、事業を興して故郷に帰ると、カラマツはたくさん生えているのに、山で仕事をする同級生の暮らしは苦しい。「どうしてか」と尋ねると、「カラマツは曲がるからどうにもならん」との答えが返ってきました。そこで、「曲がらないようにすればカラマツを使えるではないか」と発想を転換したのです。道の林産試験場と共同で技術を開発し、道が開けました。

浅海 住宅の主力材だったロシア産材が、近年、盛んに中国向けに出荷されるようになり、道産材の伐採が盛んになっています。どう見ていますか。

石出 外材が高価になったから、世界で最も安価になった道産のカラマツが使われています。経済効率だけを理由に利用が促進されている点は、手放しで喜ベません。しかし、林業に従事する山の人たちに活気が戻り、同時に間伐も進んでいます。今が道内の林業にとってチャンスだとも言えます。

モデルハウス内で対談する石出社長(右)と読売新聞浅海支社長(左)

浅海 芦別で道産材の調達を支える「協同組合」を結成されたそうですが、かなり苦労されたようですね。

石出 山の人たちを説得して組合を作るのは、正直、大変でした。道産材の利用を促進しようと、私も一生懸命取り組んだし、道庁の担当課も一緒になって説得に当たってくれました。振り返れぱ日本の林業をなんとかしたいという使命感が強かったから出来たのだと思います。

浅海 植林も行っています。

石出 家造りを通じて木に関心を持つ方が増え、毎年、植林を行っていますが、森が元気になるにはまだ間伐が必要です。

北海道への思い

浅海 建築という切り口から北海道を見るとどういった印象をお持ちでしょうか。

石出 小樽渾河など、とても美しい建造物を移転しようとする動きが過去にありました。北海道の人たちの多くは、本物かそうでないかの目利きの能力が低い気がします。「安けれぱいい」という風潮があり、無味乾燥な住宅が増え続けている。

浅海 北海道の建築文化の将来を悲観されていますか。

石出 必ずしもそうではありません。道産材を使い、お客さんに満足してもらえる本物の家を造っていきます。10年もすれぱそういった家で街並みが形成され、多くの人に「いい家だ」と実感してもらえる確信はあります。

浅海 北海道経済を活性化させる方策をどう考えますか。

石出 道民は明るいし、豊かな自然もある。そう悲観することはないと思います。本州の企業を誘致して経済を活性化することが一番という考えには、あまり賛成できません。

対談を終えて


前に前に…宗教家のことく

因果な商売だな—。あらためて、そう思いました。新聞記者とは。

資料を読み、ひとの話を聞く。明らかになる、石出さんの事業の今、仕事への姿勢、「森をたてよう」との熱い思い……。「いいな」と感じました。

が、同時に、知りたくなるのです。「でも、いいことぱかりではないはず」と。

インタビュー本番。

もちろん、石出さんの活動、戦略、信念などを必死に問き出そうと。

だが、「人間・石出」を掘り起こすには、「いいこと」の「裏」が不可欠。

正直、時に「宗教家か」とさえ思わせる、一直線な人生の歩みの表出が続き、焦りも。

しかし—。

「よく聞いてくれました」と言うや、語り出したHOPの木材調達を支える「協同組合」結成の際の苦労、苦悩を聞くに及び、合点が行きました。

きれいごとだけ、言おうとしているわけじゃない。ただ、「前に前に」との思いが、失敗談などに費やす暇を、ときに排除してしまうのだ、と。

「道外に出る企業の多くは、安売りを看板にする。でも、私はその道をとりません。」

石出流の成功を祈る。そう思わせしめる迫力に脱帽しました。


「仕事が最大の遊び」家長の役背負った少年時代

朝5時に起床して、インターネットのメールをチェックすることから一日が始まる。「仕事が最大の遊び仕事のことを考えると、寝る時間が惜しい」と言ってはばからない。

高校を出てアサヒビールに入社、研修先の米国で建築に開眼し、短大に通い直して転職した。転職の理由を、「ビールの需要がピークとなる夏にストライキを平気で行い、生産水準を低下させていた当時の労働組合に我慢がならなかったから」と振り返る。

建築業界では、工務店の現場監督からスタート。その後、一級建築士の資格を取得した。手がけた華麗な家々の姿からは想像できないような下積みの経験が、腕利きの大工を見抜く眼力につながっている。

「生き方は宗教観と結びついている」と話す。4歳の時に父親を亡くし、小学校に入学してすぐ、鉄道事故で一緒にいた7人の友人を一瞬にして失った。そういった経験が、生き方に多大な影響を与えたのは、間違いない。母親と祖母、姉5人という女系家族の中で育った。「気づいたら農家の主として必死に生きてきた」という少年時代の体験が、経験者としての力強さにつながっているのだろう。

尊敬する経営者は、第二電電を設立し、情報通信事業の民営化に力を尽くした稲盛和夫さん(京セラ名誉会長)だ。機内で読んだ雑誌で、稲盛さんが「〈そんなことやれるわけない〉ということに挑戦したい」と述べている部分に感銘を受けたという。(西沢隆之)


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