日経新聞 記念対談 梶田真章×石出和博

今年は、年の初めからうれしいことが続きました。

ひとつは京都支社の開設です。もうひとつは、京都ではじめて建てる家が竣工し、そこでオープンハウスを開催しました。京都の方々に「HOPの家」の実際をご覧いただくことができました。まさに私の夢のひとつがかなったわけです。

そして、京都へ足繁く通っているとき、御縁があって法然院の梶田住職と対談をさせていただくことになりました。

対談の日は、2月の寒い日でしたが、前日の荒天がウソのように陽がさし込み、椿の葉が光っていました。芽吹き前の法然院の森は、もうすぐ訪れる春への期待に包まれているように感じました。

高名なお寺の貫主さんと対談するということで、不安もあり、めずらしく緊張していましたが、貫主さんを一目見るなり、そんな気持ちがすーっと消えてしまいました。笑顔といい、姿といい、何かひとを温かくさせる、そんな雰囲気に魅せられるまま、気がついたら対談の終了時間がきていたほどです。

「いちばん理想的な坊さんというのは、その横にいたら安心できることやと思う」と飾り気なく話される貫主さんとの対談は、いま思い出しても幸せなひとときでした。

対談のすべてをここに収録することはかないませんでしたが、自然と一体になった法然院の佇まいと、梶田貫主のお人柄を伝えたく思い、小さな冊子にまとめました。

石出和博

法然院の写真は、撮影:水野克比古

石出 こちらの法然院さんには、以前何度もカメラを手にお訪ねしておりますが、今日は総門から参道を通らずに急な坂道のほうから来てみました。こちらは椿の季節が特にすばらしいですね。

梶田 ちょうど三月中旬から四月初旬にかけて椿の花が参道いっぱいに散り落ち、落ち椿と山門を同時に収める撮影スポットになっているのです。

そういえば写真がお好きで、写真集までお出しになられているとか。

石出 素人写真でお恥ずかしい限りです。本業の建築家としての仕事は、設計を始めて建物が完成するまで、作品としての善し悪しの確認に長い時間が必要ですが、写真は撮ってすぐ見られるというスピー ド感が心地いいのです。

それで、運良く時間ができますと、下調べもしないで北海道を飛び立つというような具合で。とくに、京都や奈良、信州の風景に惹かれますね。

森が生きている その森が命を育む

梶田 京都も中心部のほうでは町家がビルに建てかわったりと、だんだん京都らしさが少のうなってきましてね。ようやく町家保存という動きが出てきたのですが。若い人が古い町家のよさを見直して、もっとお住みにならはったらよいのにと思いますね。

最近、京都に「心の故郷」を感じると、文字通りに「心の眼で光を観よう」との観光目的で、全国からたくさんの方が見えられます。京都にとっては、大いなるチャンスだと思うんですが、何かそれを生かしきれていないという感じがします。

いま、東福寺のほうで、家を建てておられると聞きましたが。

石出 ええ、そうです。ちょうど南門の山手のあたりです。いつかは京都で私の設計した家を建てたい、というのが願いでしたから、思ったより早く実現できたので喜んでいます。

伽藍前庭 放生池に架かる石橋

梶田 ずいぶん京都にこだわったはるんですね。

石出 私は建築を志してから来年で三十年になるんですが、なんども何度も京都へ足を運んで、いろんなお茶室を見ては勉強しました。

お茶室ばかりでなく、中庭とか露地といった空間にも美しさを感じますね。そんな美意識を遺伝子の中に持っている京都の人がうらやましくてしょうがなかったのです。

そんなわけで、いつかは京都で仕事をしたいと思い続けてきました。やっと昨年、思いがかないまして、そのお宅がそろそろできあがります。同時に京都支社もオープンします。

梶田 永年の夢の実現ですね。私ら京都にずっとおりますと、今の 京都はそんなに思っていただくほどのまちではないんやないかという気がしますが。まあ京都は、外から刺激していただいて、利用していただいて、それで伝統をつくってきたまちかも知れませんね。

石出さんが北海道から京都を刺激していただくのはいいことだと思います。また、石出さんの造られる建築に刺激されて、京都の人が新しい伝統を生み出すことにつながればなおいいでしょうし。確かに京都には、文化の蓄積といった価値はあるんですね。ただ、京都人自身がそれに応えられるような暮らしをしているかは、どうでしょうか。石出さんの想いにある京都が、今あるかどうかも試していただきたいですね。

さあ、どうぞお茶をお召し上がりください。

石出 いただきます。
ああ、おいしいお茶ですね。

梶田 方丈庭園の池の奥に湧き水 があり、善気水と呼んでいます。 当院中興以来三百年以上絶えることなく湧き続けています。その天然の水で皆様にお茶をお出しできることは誠にありがたいことだと思っています。

石出 おいしい水が絶えることなく湧き出ているのも、この裏山の森が生きているからですね。

梶田 当院の伽藍は、東山三十六峰の一つ、善気山の山麓にあります。善気山は、盂蘭盆の送り火で知られる大文字山の西側に連なっています。この森に抱かれて、京都の市街地にほど近い場所ですが、豊かないのちの営みが繰り返されています。

石出 最初にこの森を見たとき、正直言って、こんなすばらしい森を、よく残していただいていたなあ、という感謝の思いがわいてきましたね。

梶田 いま当院に見えられる方が、とてもすばらしい環境ですね、とほめてくださいますが、少し前なら、このくらいの森というか環境は、日本各地にふつうに見られたと思うんですね。ここの森がほめられるということは、その分よその自然環境が悪くなっているということですから、何とも複雑な心境ですね。

石出 その思いが「森の教室」を始められたきっかけだとお伺いしています。その「森の教室」を通してどういうことをなさろうと考えられたのですか。

梶田 人間にとって便利な都会は、人間が自然の一部であることを忘れさせる方向へと導いているとしか考えられません。しかし人間は自然の中に存在しているのですから、その一部としてどのように暮らせばよいのか、と内側から考えるべきではないでしょうか。

そしてお寺は、ひとつの「命」、あるいはひとりの「人間」としての側面から、環境とどのように関わり、行動していけばよいのか、を考える場所である、というのが私の考 えです。森には、ハチやヘビなど、私たちにとって迷惑な動物もいます。これらを隔離したり、排除したりせず、それらを受け入れながら暮らしていくことが大事だと考えています。

家を建てると森が蘇る

石出 私のところは住宅の建築を行っていますが、その家は「森を建 てよう」という言葉で表現しています。それは、森の命を使って家を建てているわけですから、できるだけ大切に使わせていただきますという思いを込めているわけなんです。

具体的には、五十年経った北海道の人工林を、構造材として使っています。それで家に使った分の木を植樹していますから、五十年後には、また材として使えるわけです。「HOPの家」と呼んでいますが、七十五年以上の耐久性をお約束していますから、森林資源の利用と育成が見合う形でつながっているわけです。

豊かな森を次世代に残すというのも、私たちの大切な役割だと考えています。

梶田 そうですね、熱帯雨林の問題にしましても、日本の家の建築のために、世界中いたるところの森が伐られて、破壊されているというような報道については、本当に心の痛むことですね。

石出 私は北海道の芦別というところの生まれで、森林のなかで育ちました。

建築の道に入ってから、せめて内装材だけでも北海道産の本物の板を貼りたいと、芦別の林産組合や道林務部へ相談に行っていました。それが徐々に実を結んで、内装材から構造材まで使うようになり、使ったら植えるというリサイクル運動としてやってきたのです。

照葉樹の森、新緑の善気山に抱かれて
北海道芦別の山で行われた「絆の森植林祭」

梶田 リサイクルといいますと、たとえば五十年以上たった家を建て替えるときのことも考えておられると言うことですか。

石出 ええ、解体した後も構造材の八十パーセント以上がリサイクルできるんです。国からも認定を受けています。これは、法隆寺や薬師寺の、木材を生かして再利用する方法に学んで開発しまして、HOP工法と呼んでいるんですけど、実用新案取得しています。

梶田 それこそ伝統文化の「知恵」ですね。「材」としてしか木を見ていなかったら、木を大切に使ってやろうというか、大切に使わせていただきますという思いは起きなかったんじゃないでしょうか。それこそ石出さんの想いのなかにふるさとの森があったんですね。

石出 そう言っていただくとうれしいですね。家を建てると、森が蘇る、人も森も幸福な家。そんな私たちの志に賛同してくださる方々と「家」を仲立ちにした心と心のおつきあいをさせていただきたいと考えているんですよ。

古くなっても美しいものそれが本物

梶田 先ほど、奈良の法隆寺さん、薬師寺さんの話がでてきましたが、日本の伝統的な建築をずいぶん勉強されたんですね。

石出 京都や奈良の茶室や数寄屋を学びながら建築の道を歩んでいるとき、一冊の本に出合ったんです。で、感動してその著者に会いに行ったのです。その方が、薬師寺西塔を再建された名棟梁、西岡常一 (故人)さんでした。

薬師寺の境内で、師は私にこう言ってくれました。「あなたが今造っているものが五十年たつとその町の文化になる。そういうものを造らなければいけない。本物の素材をうまく生かせば美しいものは造れる。美しいものは必ず残ります。あなたは設計をやっているというが、図面だけでものを造るのではなく、職人さんと一緒になって、建築に命をふきこまなければいけない」と。

梶田 それはよくわかりますね。 逆説めいた言い方になりますが、いま住宅の寿命が平均二十五年ほどといわれているのも、材料や設備といったことだけではなくて、古くなると美しくなくなる、というところにも問題があるのかもしれませんね。

石出 そうです。侘び、寂びの精神世界を創り、自然を生活の中に取り入れ、繊細な文化を創り上げてきた日本人の美意識は、いったいどこに行ってしまったのか、という想いでいっぱいですね。合理化といいながらプレハブ化し、結局は世界一高い住宅と最低の空間しか手に入らない住宅事情、なにかが忘れられているように思うのです。

梶田 そうですね。建物が傷んできたら、解体して修理する。傷んだ木を新しい木に入れ替えたり、古材を探してきて修理したり。そんなことが当たり前だったんですね。新しい木も何年か経つとだんだんと周囲に溶け込んでいって。で、ある日、もう最初からそうであったかのように馴染んでしまいます。もっとも、その違和感がどうも、という場合には、古く見せるというような技術もあったんでしょうね。

うちの山門の茅葺きは、十数年ごとに葺き替えますが、新しい茅 が少しずつ変化していく様子もおもしろいですよ。

石出 木もそうですが、本物の素材といいますか、天然素材だから味わえる 深み、落ち着きといったことも、「時間の贈り物」だと思っています。建築に携わるものが、少なくとも三十年後、四十年後のことを考えないというのは、怠慢というより退化しているのではと思います。家が、建てるものから買うもの、つまり商品に変わっていったのが大きな原因のひとつだと言えるのではないでしょうか。

梶田 石出さんの建てられた家が、五十年、百年と京のまちと共に生きるということですね。

石出 はい、耐久性はもちろんですが、ご家族の夢をやさしくつつみ、住むことの喜びがあふれる、森のような住まいをお届けしてまいりたいと考えています。

梶田 真章 (写真右)
かじた しんしょう 法然院貫主

1956年、京都市左京区、浄土宗大本山 黒谷金戒光明寺の塔頭、八はしでら常光院に生まれる。大阪外国語大学ドイツ語科卒業。大学入学と同時に法然院に移り修行を開 始し、1984年7月、27歳で、法然院 第31代買主に就任。
翌年、境内の恵まれた環境を生かし、様々なゲストスピーカ ーを招いて自然について考える場を持ってもらおうと「法然院 森の教室」を始める。環境問題が今ほど話題になる前から始 めた活動である。
また、アーティストの発表の場としても寺を開放、念佛会、佛教講座の他、年間100以上の個展やコンサート、シンポジウム等が開かれている。現在、京都景観・まちづくりセンター評議員。
京都芸術センター運営委員。きょうとNPOセンター副理事長。

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