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日本的美の探求 備前焼を置きたくなる家備前焼の似合う家をつくりたい――。備前焼の似合う家をつくりたい――。 いつの頃からか、私の心の奥にそんな思い いつの頃からか、私の心の奥にそんな思いが宿り、家を建てるときは、いつも備前焼が宿り、家を建てるときは、いつも備前焼を意識するようになった。を意識するようになった。はじめて備前焼と出合ったのは、もうはじめて備前焼と出合ったのは、もう3030年以上前、まだ、建築家として駆け出しだっ以上前、まだ、建築家として駆け出しだった頃のことである。ある建物を手掛け、そた頃のことである。ある建物を手掛け、そのお披露目パーティーでいただいたのが、備のお披露目パーティーでいただいたのが、備前の花器だった。灰かぶりの、何ともいえな前の花器だった。灰かぶりの、何ともいえない野趣あふれる表情。手にしたときの一瞬い野趣あふれる表情。手にしたときの一瞬の戦慄。やがて伝わってくる温もり。その不の戦慄。やがて伝わってくる温もり。その不思議な感覚が、喉にささった小魚の骨のよ思議な感覚が、喉にささった小魚の骨のように、私の中に在り続けた。うに、私の中に在り続けた。作者は藤原作者は藤原建けんけんといった。いただいたときといった。いただいたときは、不勉強さ故その名を知らなかった。は、不勉強さ故その名を知らなかった。のちに、人間国宝藤原のちに、人間国宝藤原啓けいけい氏を叔父に持ち、氏を叔父に持ち、北きたきた大おおおお路じ魯ろ山さんさん人じんじんをして天才と言わしめた陶をして天才と言わしめた陶芸家だと知って、大いに恐縮した。芸家だと知って、大いに恐縮した。私は年を追うごとに備前の虜になっていっ私は年を追うごとに備前の虜になっていった。大口を開いた備前の壺が、しばしば夢た。大口を開いた備前の壺が、しばしば夢にも現れた。にも現れた。―なぜだろう。なぜだろう。思うに、備前焼は、絵付けもせず、思うに、備前焼は、絵付けもせず、釉うわぐすりうわぐすりを使を使わない。寝かせた土をこねて形を作り、窯でわない。寝かせた土をこねて形を作り、窯で焼き締める。手間ひまかけて出来上がった焼き締める。手間ひまかけて出来上がった作品は、素朴で、自然に限りなく近く、本作品は、素朴で、自然に限りなく近く、本物だけが持つ、威厳に満ちている。しかも、物だけが持つ、威厳に満ちている。しかも、月日が経つほどに味わいを増す。月日が経つほどに味わいを増す。私自身が目指す、「月日が経つほど味わい私自身が目指す、「月日が経つほど味わいの深い家」「骨董品になれるほど愛着のもの深い家」「骨董品になれるほど愛着のもてる家づくり」とどこか共通するものがあてる家づくり」とどこか共通するものがある。だから、惹かれるのかもしれない。る。だから、惹かれるのかもしれない。私はいつしか岡山の備前にも通うようにな私はいつしか岡山の備前にも通うようになり、窯や工房を訪ねては、いろんな作家のり、窯や工房を訪ねては、いろんな作家の作品を見て歩くようになった。特に「単純、作品を見て歩くようになった。特に「単純、明快、豪放」の作風を持つ、藤原家の備前明快、豪放」の作風を持つ、藤原家の備前焼、「藤原備前」に夢中になった。焼、「藤原備前」に夢中になった。藤原家は、藤原啓氏、藤原藤原家は、藤原啓氏、藤原雄ゆうゆう氏と2代続氏と2代続いて人間国宝を輩出する名家。現在、3いて人間国宝を輩出する名家。現在、3代目で雄氏のご長男である、代目で雄氏のご長男である、和かずかず氏が窯を氏が窯を守り、作品を生み出し続けている。守り、作品を生み出し続けている。雄氏がお元気な頃、何度か工房にお邪魔雄氏がお元気な頃、何度か工房にお邪魔していたが、今回お願いをして、藤原和氏していたが、今回お願いをして、藤原和氏との対談が叶った。との対談が叶った。陶芸と建築について、大いに語り合った。陶芸と建築について、大いに語り合った。082Fujiwara Kazu / Ishide KazuhiroDialoguechapter 2

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