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木のことなら林野庁が詳しいだろうと、 木のことなら林野庁が詳しいだろうと、カラマツの間伐材を建築材として使うにはカラマツの間伐材を建築材として使うにはどうしたらいいか相談しに行った。そこで、どうしたらいいか相談しに行った。そこで、特別な乾燥技術があることを知った。木を特別な乾燥技術があることを知った。木を窯に入れて高温で乾燥させれば、まっすぐ窯に入れて高温で乾燥させれば、まっすぐな柱として使えるようになるというのだ。な柱として使えるようになるというのだ。北海道の林産試験場と共同でこの技術を北海道の林産試験場と共同でこの技術を開発することで、道が開けた。開発することで、道が開けた。カラマツを建築材に使う技術の確立のほカラマツを建築材に使う技術の確立のほかに、もうひとつ解決すべき問題があった。かに、もうひとつ解決すべき問題があった。木材を流通させるシステムの構築だ。それ木材を流通させるシステムの構築だ。それまでは、山で取れた木材は商社が間に入っまでは、山で取れた木材は商社が間に入って材木店が買い、それを建築会社や工務て材木店が買い、それを建築会社や工務店が買うという形だった。実は、今でもそ店が買うという形だった。実は、今でもそれが主流だ。だから、通常の材木取引でれが主流だ。だから、通常の材木取引では、商社が流通させたい木材しか買えなは、商社が流通させたい木材しか買えない。自分が欲しい材料が手に入るとは限い。自分が欲しい材料が手に入るとは限らないのだ。らないのだ。家をたてることは家をたてることは森をたてること森をたてることそこで、私は山とユーザーが直接取引するそこで、私は山とユーザーが直接取引するシステムを作ることにした。山で生産したシステムを作ることにした。山で生産した木材を建築会社や工務店が買うことを約木材を建築会社や工務店が買うことを約束するものだ。言葉にすると簡単だが、実束するものだ。言葉にすると簡単だが、実現するのは険しい道のりだった。現するのは険しい道のりだった。山から町に材料を持ってくるまでは、山で山から町に材料を持ってくるまでは、山で木を切る、それを運ぶ、丸太を削る、製材木を切る、それを運ぶ、丸太を削る、製材する、加工する…といくつもの工程がある。する、加工する…といくつもの工程がある。これに関わる人たちを順番に説得して、組これに関わる人たちを順番に説得して、組合として組織化しなくてはならなかった。合として組織化しなくてはならなかった。現金取引を約束し、山に専用の乾燥窯も現金取引を約束し、山に専用の乾燥窯も造った。この仕組み作りだけで、3〜4年は造った。この仕組み作りだけで、3〜4年はかかったが、山の人と建築会社が一緒になっかかったが、山の人と建築会社が一緒になって日本の国産材を利用する日本で初の組て日本の国産材を利用する日本で初の組合ができた(一九九六年)。合ができた(一九九六年)。日本の林業のためにと私が始めた産地直日本の林業のためにと私が始めた産地直送による住宅建築は、道外でも認められ、送による住宅建築は、道外でも認められ、今では全国で多くの家が立っている。今では全国で多くの家が立っている。220epilogue本物は古くならずに深くなるThe genuine article ‘does not become old and rather adds to attraction’
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