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「家づくりは人生最大の遊びだ」「家づくりは人生最大の遊びだ」私は、以前からそう言い続けている。私は、以前からそう言い続けている。「何をふざけたことを言っているんだ」と思「何をふざけたことを言っているんだ」と思う人もいるかもしれない。う人もいるかもしれない。しかし、戯れ言でも間違いでもない。言い換しかし、戯れ言でも間違いでもない。言い換えれば、家づくりは人生そのものであり、そえれば、家づくりは人生そのものであり、その人が生きていく上での集大成が家なのの人が生きていく上での集大成が家なのだ。つまり、家をつくるということは、自分だ。つまり、家をつくるということは、自分の人生観を形にしているということでもあの人生観を形にしているということでもある。家づくりはそれくらい真剣勝負だと考る。家づくりはそれくらい真剣勝負だと考えている。えている。にもかかわらず、現代人は家づくりをおろにもかかわらず、現代人は家づくりをおろそかにし、与えられたものをそのまま受けそかにし、与えられたものをそのまま受け入れている場合が多い。システム化された家入れている場合が多い。システム化された家を見せられて、「この中から選んでくださを見せられて、「この中から選んでください」と言われて、いくつかの選択肢の中からい」と言われて、いくつかの選択肢の中から決めてしまう。これでは、人生の集大成と決めてしまう。これでは、人生の集大成とは言えないのではないだろうか。は言えないのではないだろうか。家づくりでまず重要なのが材料だ。私は家づくりでまず重要なのが材料だ。私は北海道産の木材を使って家をつくってきた。北海道産の木材を使って家をつくってきた。「地材地消」ということだ。少なくとも日「地材地消」ということだ。少なくとも日家づくりは家づくりは人生最大の遊び人生最大の遊び本でつくる家は、日本で育った木で建てた本でつくる家は、日本で育った木で建てた家がいいのだ。家がいいのだ。北海道がかつて炭坑で栄えた頃、炭坑の坑北海道がかつて炭坑で栄えた頃、炭坑の坑木用にと、信州からカラマツが大量に植林木用にと、信州からカラマツが大量に植林された。しかし、炭坑業が斜陽になって、そされた。しかし、炭坑業が斜陽になって、その需要は失われていった。カラマツは曲がりの需要は失われていった。カラマツは曲がりやすく、建材には適さない。使い道がなくやすく、建材には適さない。使い道がなくなったカラマツの人工林は放置され、森は荒なったカラマツの人工林は放置され、森は荒れ果てていった。私の芦別の実家でもカラマれ果てていった。私の芦別の実家でもカラマツを植えていたが、後に木が育っても1本もツを植えていたが、後に木が育っても1本も使われていなかった。これをなんとか使って使われていなかった。これをなんとか使ってやろうと思い立った。やろうと思い立った。実は、この仕事を始めた頃は、特に北海道実は、この仕事を始めた頃は、特に北海道産材を使おうとは考えていなかった。道産産材を使おうとは考えていなかった。道産材の良さに気付かされたのは、名古屋の材材の良さに気付かされたのは、名古屋の材木問屋と話をした時だ。「芦別のナラが欲木問屋と話をした時だ。「芦別のナラが欲しい」と言われて、はっとした。日本のナラしい」と言われて、はっとした。日本のナラは海外では高値で売られていて、ヨーロッパは海外では高値で売られていて、ヨーロッパでも高級家具に使われている。だったら、森でも高級家具に使われている。だったら、森林資源が豊富な北海道には大きなチャンス林資源が豊富な北海道には大きなチャンスがある、と思ったのだ。がある、と思ったのだ。218epilogue本物は古くならずに深くなるThe genuine article ‘does not become old and rather adds to attraction’

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