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 私の実家は農家だったが、折からの減反政策で農業には将来がないと思った。農家を継がずに最初に就職したのは、北海道に進出してきたばかりのビール会社だった。社内には、工場を造る建設課があり、そこで建築の面白さに憧れた。夜間の短期大学に入って建築を学んだが、卒業後すぐ、会社の研修でアメリカに行くことになった。当時のアメリカの豊かな生活には大いに驚かされたが、一方でこんな出来事があった。ホームステイ先の人に連れられ、ある建築会社の事務所に行ったときのこと。アメリカ人の社長に日本の五重塔の写真を見せられ、「これはどこの五重塔だ?」と聞かれアメリカ滞在時代に人生の目標を定めるたのだ。後に法隆寺だったと知ったが、北海道から来た私には、それがどこだかわからなかった。その社長は、「日本の木造建築の技術はすごい」と感心していた。このアメリカ時代の経験が、私の人生の目標を決めた。「古来の建築の伝統を活かしながら、アメリカのような豊かな住環境を日本で実現したい」その夢を実現すべく、帰国後は茶室建築を手がけていた宮大工の会社に転職し、現場監督をしながら日本の伝統建築を学んだ。茶室の設計も任され、京都の名建築の茶室を見て回り、茶道の稽古にも通った。214epilogue本物は古くならずに深くなるThe genuine article ‘does not become old and rather adds to attraction’

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